
「スポーツの力で地元仙台に恩返しを」仙台89ERS社長志村雄彦が描く一貫したビジョンの原動力【前編】
Interview
BASKETBALL
「絶対に達成したいことだからこそ、簡単に口に出したくないです」
仙台89ERSのポイントガード、渡辺翔太選手にクラブの悲願である「B2優勝、B1昇格」に向けた想いを聞くと、想像を超える真摯な答えが返ってきました。
身長168センチ。明治大学3年生から特別指定選手としてチーム入りし、昨季急成長を遂げた23歳。その小さな背中で躍動する姿は現クラブ社長志村雄彦氏と重ねられ、今季ファンの期待を一身に背負っています。チーム最年少の若き司令塔が「社会人1年目」の今、想うこととはー。「超攻撃的バスケット」と呼ばれるプレーを生み出す、ストイックかつ繊細な渡辺選手の素顔に迫ります。
(取材日:10月20日)
―10/18の東京Z戦では得意の速攻などでチーム最多の20得点、3連勝に貢献されました。今季ここまでの感触は?
「個人的には開幕から(調子に)乗れていなくて……。メンタル的にも不調だったんですが、周りの皆さん、チームメイトやヘッドコーチ、スキルコーチや志村社長からもアドバイスを頂けて、ようやく少しずつですが戻ってきました。少し、ホッとしています」
昨季、仙台89ERSは初めてB2プレーオフセミファイナルに臨んだものの結果は4位。渡辺選手はその初戦・西宮戦の試合終了間際に3ポイント逆転ブザービートを決めるなど大活躍しましたが、昇格に王手をかけられた茨城ロボッツ戦ではチームを救うことができませんでした。今季、序盤のスタートに苦しんだ理由はその時の悔しさにあるといいます。
「昨季、ファンの皆さんに悔しい思いをさせてしまったので、今季はそれ以上のプレーを見せたい、自分がどうにかしなきゃみたいな思いがすごくあって……。でも、それはやっぱり違うっていうのを周りの皆さんが教えてくれたんです」
―気負い、みたいなものがあったのでしょうか?
「そうですね。あったかもしれないです。でも、皆さんのアドバイスのおかげで少しずつ身体がほぐれてきました」
―周囲からはどんなアドバイスが?
「いろいろ頂いたんですけど……。例えば開幕戦の後、志村社長からLINEでメッセージが来たんです。辛い時は必ず誰にでもある。こういうときは初心にかえるといいという言葉をくださって。それがすごく大きかったです。あと、プレーの部分でもアドバイスをくださいました。志村さんは身体が小さくても自分より大きい相手を守ることがすごく上手い選手だったので、ボールを入れさせないところの技術や(身体が小さいからこその)ちょっとずる賢いプレーなどの戦術、メンタル面でのアドバイスもいろいろもらいました」
―門外不出ですね。
「はい、間違いないです(笑)」
―今シーズンはファンの期待もより高まっています。
「昨季、悔しい思いをして改めて自分を見つめ直したんですけど……個人的にメンタルはあまり強くないです。負けず嫌いではありますけど。期待されていることはすごく嬉しいですが、プレッシャーも感じちゃう方なんですよね……。だから、期待っていうのは横に寄せながら、自分らしさをしっかり出していきたいと思っています」
―チーム最年少の渡辺選手から見て、今季はどんなチーム?
「ベテラン選手の存在がすごく大きいチームです。寒竹隼人さん、片岡大晴さんは、試合中、コート上ではもちろんですが、(自分が)ベンチに戻ったらすぐ声をかけてくれるんです。開幕から自分は乗り切れなかったんですけど、隼人さんや大晴さんなど気にかけてくれる存在が身近なところにいっぱいいるおかげで思い切りプレーができていると思います」
―チームメイトからは何と呼ばれているんですか?
「下の名前で『ショータ』と呼ばれることもあるんですけど……。あの、自分、乃木坂46の斎藤飛鳥(22)さんのファンで、大晴さんからは『飛鳥』って呼ばれてます(笑)」
―明治大学時代は「乃木オタハンドラー」との異名がありましたよね(笑)
「はい……。たまに藤田ヘッドコーチも、試合中、めちゃくちゃ緊迫したシーンで急に「飛鳥」って呼ぶんです。『えっ……?』ってびっくりする時もあるんですけど(笑)。大晴さんに至っては、翔太という名前を忘れちゃってるくらいです」
―素敵なファミリーですね。
「はい。昨季もファミリー感が強いというか誰に対しても接しやすい雰囲気があったんですが、今季はさらにそれを超えていて、本当に良いチームだなって思います」
―コロナ禍で集まれなかった分、コミュニケーションをとるのが難しいのかと思っていました。
「チームの結びつきが強いのは、オーナーのデービットさん(代表取締役会長デービット・ホルトン氏)の存在が大きいです。集まれる機会は少ないですが、みんなで神社に行ったり、コート場でも一人一人が発言する機会を与えてくれたり……。互いに言いたいことを言い合えるので、チームの結束力が固まる。デービッドさんの存在はチームにとって本当に大きいです」
―最年少だと言いづらいというシーンはないですか?
「そうですね…。自分が最年少ということを忘れているくらい接しやすい方ばかりなので、あまりそういう疲れる気の遣い方をしたことはないですね」
©️SENDAI 89ERS
―チームの中での自分の役割をどう捉えていますか?
「誰よりもアグレッシブにプレーをすることです。若さっていうのもあるんですけど。隼人さんや大晴さんのような(個人よりもチームを考える)心の在り方みたいなものは今後見習っていくべきなんですが、今の自分の役割としては誰よりもハードワークすること。そういう部分でチームを引っ張っていきたいです」
―やはりここは負けないっていうところですか?
「ここは負けちゃ……もう残れないですね。生きていけないです。自分は身長がない分、やっぱりアドバンテージを取られちゃうので、ハードワークという部分で存在感をアピールしていきたいです」
―渡辺選手が入ると流れがガラッと変わる印象があります。
「ディフェンスから速攻、という早いバスケは仙台89ERSが掲げているものでもありますし、自分のプレースタイルでもあります。一方で、自分が得点するとか以外の記録に表れない部分、ディフェンスの部分などでもがんばっていきたいです」
身長168㎝でも当たり負けしないフィジカルの強さと、類まれな身体能力の高さに注目が集まる渡辺選手。バスケットを始めたのは小学5年生の時で、それまでは柔道とサッカーに勤しむ毎日だったといいます。
―バスケットを始めたきっかけは?
「たまたま、なんです。休み時間、自分はサッカーをやろうと思ってたんですけど、一緒にやる予定だった友達が来なくて(笑)。それでバスケ部の友達に混ざってやってみたら、ものすごく楽しかった。そこからすぐ、サッカーやめてバスケやりたいって親に言い出して……。最初は親もこれだけ続けていたサッカーを辞めるなんてと言っていたんですが、自分の意思が強くて、絶対やりたいと言い張ってバスケ部に入りました」
―その後、柔道は?
「柔道は父が大好きだったので幼稚園の年中からずっとやっていて、小学生の頃は柔道とバスケを掛け持ちしてました。中学に入り、父に『(バスケではなく)柔道をやってほしい』と改めて言われて悩んだんですけど……。やっぱりバスケの方が好きだとその時にちゃんと伝えられて。自分のやりたいことをやらせてもらって、感謝しています」
―「好き」な気持ちが持つパワーってすごいですね。
「はい。父も、最初は自分がここまで(プロに)なるとは思っていなかったみたいなんですけど(笑)。今はポスターとかを持っていくと、すぐ部屋に飾ってくれるんです」
―壁一面、渡辺選手?
「はい(笑)。ユニフォームも、埃がつくのがすごく嫌みたいで、真空パックみたいなものに入れてます。本当はそうじゃなくて、ユニフォームの額縁に飾ってほしいんですけどね(笑)」
―誰よりも「黄援」してくれているんですね。柔道の経験はバスケットにも活きていますか?
「そうですね、活きていると思います。例えば、レイアップに行くと空中で体勢を崩しちゃって体から落ちることがよくあるんですけど、そういうとき怪我したことがないです。空中から身体で落ちることが普通というか、そういう意味では怪我のリスクは少ないかもしれないです」
(後編へ続く)
Photo by 土田有里子
フリーアナウンサー。元ミヤギテレビアナウンサー。自然豊かで住みやすい仙台・宮城が大好き。休日の楽しみは娘たちとのスポーツ観戦。ジャーナリズムを専攻していた大学時代からの信条は、話し手である前に“聴き手”であること。仙台のスポーツ界に携わる方々の熱いストーリーをじっくりと伺っていきます!