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Interview

BASKETBALL

「スポーツの力で地元仙台に恩返しを」仙台89ERS社長志村雄彦が描く一貫したビジョンの原動力【後編】

仙台89ERS社長志村雄彦さんへのインタビュー。
後半は、現役引退時の想いやプライベートのお話、クラブ経営という今に繋がる幼い頃の原点に迫ります。

 

現役引退時の想い

志村さんは2017-18シーズン、35歳で惜しまれながら現役を引退。2018年7月から仙台89ERSを運営する株式会社仙台89ERSの取締役GMを経て、2020年7月からは同社の代表取締役社長を務めています。今だから話せる、引退当時の想いを伺いました。

ー周囲から「まだまだできる」という声がある中での現役引退。あの時、迷いや葛藤はありませんでしたか?

「あまりなかったですね」

仙台89ERS 志村社長

闘志溢れるプレーでファンを魅了した現役時代 ©SENDAI 89ERS

 

ーいろんなオファーや他の選択肢もあったのでは?

「僕自身、学生の頃からクラブ経営に興味があったんです。でも、どうしたら携われるかがわからなかった。だから、これだって思いました」

ー直感的に?

「はい。太郎さん(当時仙台89ERS代表取締役社長 渡辺太郎氏)に一緒にやろうって言われてすぐ。もちろん少しは悩みましたけど。30歳を過ぎた頃から、肉体的にはやっぱり成長のスピードが遅くなってくることを感じていて。怪我するとか、なかなか回復しないとか……。いつかはやめなきゃいけない、いつやめてもいいようにっていう気持ちでやっていました。今シーズンで終わりという気持ちで毎シーズンやっていたので、悔いは全くないです。今も、バスケットやりたいとか思わないです」

ー見ているとやりたくなったりするのかと……。

「ないですね。全くないです」

 

最近意識しはじめた「生涯出場時間」という指標

仙台89ERS 志村社長

まっすぐな視線で「悔いは全くない」と言い切る姿がとても印象的でした。
現役時代から、目の前にある課題に対し目をそらさず、同時に自己を客観的に捉える「俯瞰力」を磨き続けてきた志村さんは、こんな独自の視点も生み出しています。

「最近感じているのが、『生涯出場時間』です。例えば、(1試合)平均10分しか出ていない人が10年やるのと、20分出てる人が5年やるのと、生涯出場時間でいったら一緒なんです。一般的には、年齢や何年やったかという尺度でしか見ないと思うんですが、それ(生涯出場時間という視点)でいうと僕はずっと試合に出続けていたのでかなり使い切っているんですよ」

ー生涯出場時間、ですか。

「はい。なので、僕は最近そこも意識してチーム編成を見始めています。試合に出ている時間が長い選手は数字も出る、でもその分この先はどこまでやれるかが見えてこない。一方、長くやっててもあまり試合に出ていない選手はまだいけるんじゃないかと僕は思っていて、実はそこに着目しています」

ー今季のチームはその辺りも考えて編成されたんですか?

「そうですね。何人かは年齢がいっていてもまだまだ出られるなと思ってますし、逆に若くても結構出ている選手はどこかできつくなるんじゃないかという想いは少しあります」

 

クラブ経営という仕事のやりがい

ー「できないことをやらせてもらってる方が楽しい」と仰っていましたが、今もとても充実されているのが伝わってきます。

「以前、妻にも(選手と経営)どっちが楽しいの? と聞かれたことがあって。選手は、自分が好きでやっていて対価をもらえるという意味ではわかりやすいし良い仕事ですよ。すごい、かっこいいって思われてめちゃくちゃ楽しいんですけど、やはり長くは続かない。こっち側(経営)は勝ったらチームが褒められますし、負けたら責任を取らなきゃならない。表立って何かということはないですが、たくさんの方が会場に来て笑顔で楽しかったと言ってくれる、そういう場を作り上げるという達成感は非常にやりがいのあることで、僕らの喜びです」

ーどんな喜び?じわじわくるんですか?

「そうですね。それまでにやることはすごく地味ですし、苦しいことも多いんですけど……」

 

全ての土台はカルチャー

仙台89ERS 志村社長

ー志村さんはクラブの経営だけでなく、GMとしてチーム編成にも引き続き携わっていらっしゃいます。経営とチーム作り、どのように両立しているのでしょうか。

「会社もチームも、カルチャー=文化を作ることをまずやります。そこにチームや組織が乗っかってくるという形。そのためにビジョン、社訓があるわけです。ヘッドコーチも今季変わりましたけど(藤田弘輝新監督)、僕らのカルチャーだったりビジョンがブレなければ、いろんなエッセンスを取り入れていける」

ーチームとフロントは、ともすれば対立しがちなイメージがありますが、どちらもカルチャーという土台の上に両立するものなんですね。

「そういうクラブの方が強いと思います」

 

カルチャーとして目指す形 

「地元仙台でスポーツをカルチャーに」と発信し続けてきた志村さん。具体的に思い描くカルチャーの形、先行事例はあるのでしょうか。

仙台89ERS 志村社長

「カルチャーとして素晴らしいと感じているのは琉球(ゴールデンキングス)ですね。現役時代、衝撃でした。しっかりとした文化があって、クラブとチームがそれを継承している。

今日本で一番のアリーナ(=沖縄アリーナ。B.LEAGUEが掲げる“夢のアリーナ”構想の象徴と言われバスケットボールの本場NBAにも負けない規模と施設が備わっている)を持っていますし、日本のバスケット界を引っ張っているのはキングスだと思います」

2011年3月の東日本大震災で1年間の活動休止を余儀なくされた仙台89ERS。あの時、選手救済制度により志村さんがレンタル移籍したチームが琉球ゴールデンキングスでした。遠い沖縄の地で背番号「89」をつけプレーし続けた志村さんの姿が記憶に残っている人は多いはず。あの時の経験が今、別の形で活きています。

「沖縄のどこに行ってもキングスはすごいんです。人々の日常生活に溶け込んでいる。もちろん、人口が少ないとか、他にスポーツチーム、コンテンツが少ないとか仙台と違う部分はあります。県民性や風土の違いもあるので難しいですが、素晴らしいです」

ー状況の違いはあっても、一つの理想形ではあるんですね。

「はい。地域の中でのカルチャーになりたいんです。宮城・仙台に住んでいる方が一瞬でも日々の生活の中で仙台89ERSのことを感じられる瞬間があるといいなと思います。例えば、週明けの朝、学校や会社で週末の試合が話題になるとか、優勝した時は街全体がみんなで盛り上がるとか……」

ーカルチャーとは、生活の一部になること?

「そうですね。スポーツの力ってすごいので。そこに向けて、地道に一つ一つ積み上げていきます。そういう文化はまさに仙台・東北らしさでもありますから」

 

プライベート

4歳の男の子と2歳の女の子、2人の子どものパパでもある志村さん。プライベートについても伺いました。

仙台89ERS 志村社長

(ご家族より提供)

 

ー家族ができて変わったことはありますか?

「子どもたちの成長を見ていると、自分ももっともっと成長しなきゃなって思います。子どもに誇れるものを僕らが作っていかなきゃなと思うので」

ー家ではどんなパパ?

「どうなんですかね? 普通だと思いますけど(笑)。1日の中で少しでも触れ合える時間を持ちたいとは思っています。自分にとっても、仕事している時と違うリフレッシュできる大切な時間です」

ーお忙しいなかご家族との時間はどのように作っていますか?

「朝ですね。(幼稚園、保育園に)子どもを送っていってから会社に行くので。日によりますけど。妻とどっちか、行ける方が行くって感じです」

テレビ局のアナウンサーである妻の玲子さんは、勤務時間が不規則。週に何度かはママがいない朝があるそうで…。

仙台89ERS 志村社長

(ご家族より提供)

 

ーママのいない朝はてんやわんやですか?(笑)

「そうですね。僕1人なんで……。でも、子どもってすごいんです。朝の仕事(早朝のニュース勤務)を妻が始めたとき、子どもたち最初は(ママがいなくて)全然ダメだったんですよ。でも、慣れるんです」

ー慣れる?

「朝起きると彼、彼女らは僕に聞くんですよ。今日、ママいるの? って。いないよって言うと、上の子が、ママ仕事なんだからってちゃんとしようって下の子に言ってくれる。もちろん寂しい思いもしてるとは思うんですけど……」

 

原点は小学生時代に見たNBA

ー子育てで大切にしていることは?
「いろんなことを経験させてあげたいです。彼らが感じることや、実際に自然などに触れることを大切にしてあげたい。僕自身、小学5年生の時に父親と2人でバスケット・NBAをアメリカに見にいったんです。その空間に実際に身を置いて、これは日本でもやりたいと強く思いました。だから、コロナが落ち着いたら、いろんなところに連れていきたいです」

仙台89ERS 志村社長

休日はできるだけ子どもたちをいろんな場所に連れて行きたい(ご家族より提供)

 

ー学生時代からクラブ経営に興味があったと仰っていましたが、もしかして……?

「はい。小さい頃にNBAの本場を見たことが原点かもしれません。もちろん今思い返すと、ですけどね。あの時はバスケットの楽しさを感じてプレーヤーとしてそこに立ちたいという想いだったんですけど。今この仕事(クラブ経営)についてみたら、あの景色を作りたいって思いました。クラブ経営に興味を持つ一つのきっかけだったんじゃないか、根っこはそこにあったんだって思います」

ー子ども時代の体験ってとても大きいものですよね。

「そうですね。なので、小学生への講演などでも、本物を見る機会を増やしてほしいと伝えています。子どもたちには、自分で感じたもの、見たものを大切にしてほしいです」

バスケットのプロ選手を全うし、その後は故郷仙台でクラブ経営へ。そんな志村さんのバスケット人生のルーツは、小学生時代にありました。

 

志村雄彦を動かし続ける原動力

仙台89ERS 志村社長

ー志村さんを動かし続ける原動力って何ですか?

「とにかくバスケットが好きなんだと思います。好きなことをやらせてもらっているからできるのかもしれません。あとは、仙台で育ったので、地元に対して恩返しをしたいという想いがあります。仙台の人たちが喜ぶ姿を見たいという……。それですね、その一心です」

ー東日本大震災の経験も大きい?

「はい。震災の時もそうでしたけど、辛い時に支えてくれたのはやっぱり周りにいる地元の方々でした。このチームが一時活動できなかったときも、支えてくれたファンの方、スポンサー・株主さんなど多くの人に支えられて今このチームはいる。そのバトンを僕は受け継いだので、あとは勝つことなんです。今年は必ず勝つ、そのためにみんなで活動しています」

 

今季の仙台89ERSが掲げるスローガンは、Ascend(上昇する)。
自身の経験も過去の悔しさも全てを力に変え、現役時代から発信してきた「スポーツの力で地元仙台に恩返しを」という言葉を、今季こそ「B2優勝、B1昇格」という形で示してくれるに違いありません。

 

■プロフィール
志村雄彦(しむら・たけひこ)仙台市出身。元プロバスケットボール選手。株式会社仙台89ERS代表取締役社長。現役時代は身長160センチの「小さな巨人」として知られ、高いバスケットIQと闘志溢れるそのプレーで多くのファンを魅了した。仙台高ではウインターカップ連覇。慶応義塾大では4年次にインカレ制覇を果たす。2008年ドラフト指名で仙台89ERSに入団。2017-18シーズンまでの10年間、チームを牽引。東日本大震災後、チームが一時活動休止に追い込まれた時には琉球ゴールデンキングスへレンタル移籍。背番号『89』を背負って闘い続け、「ミスターナイナーズ」と呼ばれた。2017-18シーズンで惜しまれながら現役引退。同年7月から仙台89ERSを運営する株式会社仙台89ERSの取締役GMを務める。2020年同社の7月に代表取締役社長に就任。

 

Photo by 土田有里子

深井ゆきえ
深井ゆきえ

フリーアナウンサー。元ミヤギテレビアナウンサー。自然豊かで住みやすい仙台・宮城が大好き。休日の楽しみは娘たちとのスポーツ観戦。ジャーナリズムを専攻していた大学時代からの信条は、話し手である前に“聴き手”であること。仙台のスポーツ界に携わる方々の熱いストーリーをじっくりと伺っていきます!