仙台スポーツ
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Interview

DANCE

人生は一度きり! 元教員・タレントダンサーHEATが地元栗原に呼び込む新しい風【前編】

仙台市と栗原市を中心に、ダンサーやインストラクター、またテレビタレントとして活動しているHEAT(ヒート)こと鹿野 仁(かの ひとし)さん。彼の肩書は「教育系タレントダンサー」。小学校の教員を辞め、ダンスの世界に飛び込んだという異色の経歴の持ち主です。

インタビュー前編では、そんなHEATさんがダンスを始めたきっかけや、ご自身が主宰するダンススクール「ReViVaL(リバイバル)」を立ち上げた経緯などを伺いました。

朗らかで前向きなHEATさんのお人柄にもご注目ください。

 

ーダンスを始めたきっかけを教えてください。

「一番最初にダンスに興味を持ったのは小学校3年生の頃です。『BUST A MOVE(バスト ア ムーブ)』っていうテレビゲームがきっかけでした」

HEATさんが初めてダンスに触れたのは小学生の頃。1998年、現スクウェア・エニックスから発売された音楽ゲーム『BUST A MOVE(バスト ア ムーブ)』との出会いが、彼のダンス人生の始まりです。

独学用にダンスレッスンビデオを購入したこともありましたが、小・中・高とサッカーを続けていたためなかなか本格的に挑戦する機会がなかったそう。

そんな中、友人からニコニコ動画の「踊ってみた」カテゴリに動画を投稿してみないか、と声を掛けられます。

「アニメのダンスが流行った時期があって、あれを踊った動画をアップしようって誘われたんです。遊びで投稿したつもりだったけど、それがきっかけで火がついたって感じですね」

2009年、「時空戦士HEAT」というハンドルネームでダンス動画を初投稿。当時から使用しているHEATという名前は、原点となった「BUST A MOVE」の主人公キャラクターから付けられたそうです。

ーHEATさんと言えば『ヒートポーズ』ですが、このポーズも『踊ってみた』で活動されている時からあるんですか?

「はい! 何か印象に残るものを考えたくて、動画の最後に決めポーズとしてやりだしたんです。なのでもう10年くらいの付き合いですね。意外と長いです!」

タレントダンサー HEAT

手で『ヒ』の形を作るヒートポーズ

 

登米市にある佐沼高等学校を卒業後、宮城教育大学へ進学。教育大学ということでてっきり学生時代から教員になることを目指していたのかと思いきや、当初は映像編集の道に進みたかったんだとか。

「『踊ってみた』の投稿をしているうちに動画編集もいいなと思って。自主制作映画とかも作ったりして、最初はそっちの道を目指していました。

ただ、中学生の頃に憧れの先生に出会っていたことや、父が教員だったこともあって(進路希望調査の)第三希望に『教員』って書いてたんです。それを見た高校の先生に『教員を目指してみたら?』と勧められました。宮城教育大学で推薦が使えたので、先生になるのもいいかなあ、と思って入学したんです。なので、はじめは『絶対教員になるぞ!』って感じではなかったんですよ」

その後、大学のサークル活動にて念願だったダンスを本格的に始めることに。経験者が集まる中で周囲とのレベルの違いに悩んだこともあったそうですが、悔しさをバネに練習に打ち込み、そこからどんどんとダンスの魅力にのめり込んでいくことになります。

 

安定した職を捨てて新しい世界に飛び込む勇気

ー大学卒業後、小学校教諭として就職されたんですね。激務なイメージがあるのですが、やっぱりお仕事は忙しかったですか?

「忙しかったですね。今思うとよくやってたなと思うくらい……。僕は大学でも体育専門だったんですが、国語とか算数とか自分があまり得意じゃない科目も教えなきゃいけないので、毎日寝ないで準備してました。もちろん『絶対教員として成功してやる』とは思っていましたが、やっぱりしんどかったですね」

タレントダンサー HEAT

小学校教諭の仕事は国語、算数、理科、社会……などの教科全般の授業、道徳・生活面の指導や、学校行事の引率、授業研究や指導計画など多岐に渡ります。残業や休日出勤が続くことも当たり前のようにあったそう。

体育主任に就任したり、自身の課題研究が評価され発表の場に代表者として選出されたりと、教員としての実績が認められれば認められるほど、大好きなダンスをする時間が減っていきました。

「その頃僕と一緒にダンスをやってきた友達が大学院に進んで、大会で優勝したりしていたんです。友達の活躍を見て、悔しいというか……自分もやれたのに、と思って。そういう気持ちが溜まっていくけど、忙しくて踊れないし……と、いろいろ葛藤しているうちに体を壊してしまいました。その時、『やっぱりもう一度ダンスで挑戦してみたいな』って思ったんです。学校の仕事をしながらイベントに出たとしても、体力が持たなくて100%の力で臨めない。そういうのが嫌だったので、思い切って教員を辞めちゃいました」

ー教員はとても安定した職業だと思うのですが、それを辞めてダンスの世界に飛び込むことへの不安はなかったんですか?

「その時は『俺はやっていけるんだ!』って、なんだか自信があって。教員としてやってきた頑張りをダンスの方でやったら、きっと結果を残せるんじゃないかなと思ったんです。なのであまり不安はなかったんですよ。その時は……ですけど(笑)」

タレントダンサー HEAT

そして周りの反対を押し切り、25歳の時に教員を辞めダンスの世界に飛び込んだHEATさん。

仙台のダンススクールでインストラクターとして働く中、『踊ってみた』の活動も継続。しかし週に1度のレッスンでは十分な収入は得られず、スポーツジムやカフェでのアルバイトも並行。苦しい時期が続きます。

そんな中、HEATさんの地元である栗原市が、ある動画をきっかけにネット上で注目されることになります。

 

地元がくれたつながり

2018年8月、宮城県を拠点に活動する音楽ユニット「パンダライオン」が、YouTubeに投稿した動画がこちら。

「ダサかっこいい」と当時一世を風靡したDA PUMPの「U.S.A」。この曲をカバーし作られたのが、栗原市をテーマにした「I.N.K(田舎)」でした。

パンダライオンのメンバーであるMOZ(モズ)さんは栗原市出身。まさに「栗原あるある」「田舎あるある」がユニークに散りばめられたPR動画は現在350万回以上再生されています。

そんな折、HEATさんに大きな転機が訪れます。

パンダライオンが「栗原市民まつり」で「I.N.K」を披露する際、バックダンサーとして出演してほしいとオファーがあったのです。

「僕も当時から栗原をPRしようと活動していたので、声がかかったんです。出演後、ステージを見てたお客さんたちから『ぜひ栗原市でダンススクールを開いてください!』って言われたんですよ。

これだ! と思って。イベントが終わった1ヶ月後に、ダンススクール『ReViVaL(リバイバル)』をスタートさせました」

ー1ヶ月後ですか!?

「即行で動くタイプなんですよ。Webサイトもシステムも作って。レッツゴー! って(笑)」

タレントダンサー HEAT

地元の方の声をきっかけに、栗原市でスタートしたダンススクール「ReViVaL」。HEATさんが小学校の教員を退職してから、わずか1年後のことでした。

ReViVaLでは、性別や年齢を問わず、初心者から上級者までレベルに合わせたクラスを選ぶことができます。仙台教室や登米教室、オンラインレッスンも開講。現在は約100人の生徒さんがいるとのこと!

タレントダンサー HEAT

(ご本人より提供)

 

ーダンスレッスンをするにあたり、教員だった頃の経験は役立っていますか?

「そうですね! リズムを教える時に声だけじゃなくて、ホワイトボードを使って『ここが表のリズムで、こっちが裏のリズムで……』みたいな感じで伝えることもあります。論理的な説明をする時は、やっぱり教員としての経験が活きてるのかなあって思います」

 

教員という安定した道を捨て、大好きなダンスの世界で挑戦することを選んだHEATさん。彼が生まれ育ち、愛する地元である栗原市が、大きなチャンスを呼び込んでくれました。

後編ではそんな栗原市を盛り上げるために行っている活動と、HEATさんが掲げる夢についてお話を伺います。

 

Photo by 土田有里子

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佐々木智萌
佐々木智萌

岩手県生まれ、宮城県育ち。運動センスがなくスポーツの経験はほぼありませんが、スポーツ漫画はめちゃめちゃ読みます! 地元の方に向けて、宮城・仙台のスポーツに関する情報をたくさん発信していきます!