仙台スポーツ
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Interview

FOOTBALL

若き社長・粟井俊介が挑む、WEリーグのクラブ経営。『女子プロサッカー選手』という職業を確立させるために【前編】

マイナビ仙台レディースの先頭には、常にこの人あり。マイナビ仙台レディースを運営する株式会社マイナビフットボールクラブ 代表取締役社長の粟井俊介さんです。17年間勤めた株式会社マイナビから、「特命」を受けてサッカークラブ経営に携わることになった40才の若き社長は、物腰柔らかな関西弁で周囲の人たちの心を動かしていきます。「地域でもリーグでも存在感を出していく」と誓い、「女子サッカーをメジャースポーツへ」と奮闘する粟井さんのこれまでの歩みと開幕を控えた今の思いを伺いました。(全2回)

 

―粟井さんのご出身は関西地方でいらっしゃいますね?

「生まれは兵庫県姫路市。育ちは大阪府東大阪市で、いわゆる中小企業の街ですね。ラグビーの聖地・花園ラグビー場の近くに、今も実家があります。大学も関西で実家から通っていて、そのままマイナビに入社して、配属も大阪だったんです。30才まで大阪で過ごしました」

―今現在は仙台でサッカーチームの経営を行っていますが、仙台とのつながりはあったのですか?

「東日本大震災のあった2011年に東京へ転勤になり、それから10年近く東京に勤めて、今回縁があって仙台に来ました。それまで合同企業説明会などで利府町のグランディ21には行ったことがありましたが、仙台市内は仕事でも来たことがなくて……。仙台の街を歩いたことがなく、知らないことの方が多かったですが、今は仙台の住みやすさを満喫していますね。サッカーや仙台に縁があったのかとよく聞かれるのですが、正直な話、全くなかったんです」

株式会社マイナビフットボールクラブ 代表取締役社長 粟井俊介さん

関西出身の粟井社長。語り口は常に軽快で、どんな質問にも即座に答えてくれる

 

―マイナビに入社したのはどのようなきっかけでしたか?

「大学時代に教育の分野に興味があり教員免許を取りました。新卒で先生になろうかとも思ったのですが、僕の中で、視野の狭いまま先生になっても成長できないんじゃないかなという考えがありました。そういうことから一度社会人を経験しようと民間企業の試験を受けていたんです。就職するなら『教育』というキーワードがあるところがいいなと考え(株式会社)毎日コミュニケーションズ(マイナビの前身)の試験を受けました。毎日コミュニケーションズ、今のマイナビも高校生に対して、大学や専門学校など進路情報を提供する教育事業を手掛けていたんです」

―そこで着実に実績を残してこられたんですね。

「仕事は一生懸命やってきましたね。実績は出た時もあれば出なかった時もあります。でも面白かったのが、教育に携わりたいと思っていたのですが、蓋を開けてみたら就職情報サービスの営業をすることになったと。いろんな企業があって、そこに新卒採用の提案をするんです。今、マイナビではインターネットの就職情報サイトがありますが、当時は紙の求人情報誌も一部残っている頃。紙からWebに切り替わっていくところを、大阪の中小企業のおっちゃんたちに『これからはインターネットですよ』と便利さを伝えました。また、その頃は新卒を育てるのにお金をかけられないという会社が圧倒的に多かった。そこに『新卒を採るとこんないいことがありますよ』と言ってまわったりしていました」

―営業のお仕事で様々な会社の方々と関わり、得られるものも数多くありそうですね。

「営業をしているうちに、世の中にはいろんな会社がある、可能性は無限大だなと思いました。一社一社が、世の中から価値を認められて存在しているんです。存続している以上は必要とされているということ。でも大学生だとそういうことがわからなかったりするんです。『世の中の役に立っている会社ってたくさんあるんだよ』ということを伝えていく仕事にやりがいを感じていました。それで仕事に没頭した、のめりこんだというのはありましたね。会社も伸びていた頃でした。やればやるほど成果につながったし、当時業界で圧倒的No.1だったリクルートに追いつけ追い越せという雰囲気がありました」

株式会社マイナビフットボールクラブ 代表取締役社長 粟井俊介さん

突然降りてきたミッションは『女子サッカークラブの社長』(提供:マイナビ仙台レディース)

 

―そうしてマイナビの社員として働いていた粟井さんが、マイナビ仙台レディースを運営する株式会社マイナビフットボールクラブの社長に就任。どんな経緯があったのですか?

「2020年当時ですが、僕は他の仕事を抱えていなかったんです。『就職情報事業』という新卒領域の仕事をしていましたが、3月にいったんそこの事業部を離れて、4月に『社長付き』として、どこの事業部にも属さず社長の直下にいる立場になったんです。社長の思いついたプロジェクト、特命的な業務を『どフリー』の人間としてこなすということをしていました。7月までは、コロナ禍での在宅勤務の制度を整えたり、雇用調整助成金の申請を一気に7千人分くらい引き受けたり……。そういう業務をいろんな部署の人と一緒になって行うという仕事を引き受けていました」

―そこからいきなりサッカー界に?

「はい。そういうことが一通り終わった直後に舞い込んだのが『マイナビ仙台レディース』だったんです。ベガルタ仙台からレディースチームを引き受けて、プロ化するという仕事です。降りてきたミッションの中の一つ。でも、『どでかいミッション』でした。会社としてもプロスポーツを運営するというのは初めての試みで、必死に取り組んでいる内に、社内でも『この件に関しては粟井以外に応えられる人がいないよね』という感じになって……。そんな風にやっていく内に、社長になると決まっていったと。僕の認識ではそういう形ですね」

株式会社マイナビフットボールクラブ 代表取締役社長 粟井俊介さん

女子サッカーの魅力を伝えようと奔走する。粟井社長の表情は活力に満ちている

 

―かなり驚かれたのではないですか?

「僕自身、実はサッカーに競技として取り組んで親しんできた人間ではないんです。高校まで野球をやっていましたが、サッカーはやったことがなかった。見る側としてのサッカーでも、代表戦とか。フランスワールドカップの頃が高校生で、海外で中田英寿さんの華々しい活躍があったと記憶しているくらいで、特定のJリーグチームを応援しているわけでもなかったです。ベガルタ仙台というチームがあるということは知っていましたが、見に行ったこともなかった。ましてや女子サッカーは……という状況でした」

―今は社長として「女子プロサッカー選手」という新たな職業を生み出し発展させていくという立場に。

「女子サッカーという世界に入って行く時に、最初に思ったのが『え?女子サッカーって何がおもろいんですか?』ということでした。というのは、まず見たことがなかったからわからないし、どこに面白さがあるのかが純粋に理解できていなかったんです。だから『サッカーという競技の魅力って何だろう』というところから始めました。これからプロの世界に携わっていけばいくほど、それを知らない人に面白いと思わせるためには、しゃべることができないといけない。まず自分の腑に落ちなければいけないし、定義しないとだめだなと思いました。まず女子サッカーの面白さをつかもうといろんな人に話を聞き、情報を集めました」

―今はその定義はできましたか?

「8月に(WEリーグの)岡島(喜久子)チェアが来仙して講演をされて、なるほどなと思ったことがいくつもあったんです。その一つですが『サッカーにはそれぞれの役割があって、一人で成果を出すことができない』ということ。FWにはFWの、中盤には中盤の、そして監督には監督の役割がある。そして全てがつながって点が取れたり守れたりという成果があると。そういうことって、ビジネスや社会生活でもそうなんです。与えられた役割を一人一人が理解し、物事を考えて結論を出して、方向性を決めて、それを次の人につないでいくという一連のプレーの在り方や枠組みって、ビジネスの世界と似ているなと思いました。そういう魅力を感じてサッカーに取り組んで欲しいと思います。個人的な意見ですけど、サッカーを経験してビジネスで活躍している人ってたくさんいると思うんです。うがった見方かもしれないですけどね。起業したり、フリーランスで活躍したり……。ビジネスの世界で見ると、サッカーをやっていた人は、センスが育っているという気がしますね」(続く)

 

Photo by 土田有里子

村林いづみ
村林いづみ

フリーアナウンサー、スポーツキャスター。2004年からラジオでベガルタ仙台のトーク番組を担当し、2007年よりスカパー!や DAZNで中継リポーターを務める。ベガルタ仙台レディースは2012年のチーム発足時より取材を開始。ヒーローインタビューと勝利の祝杯を何より楽しみにしている。