仙台スポーツ
COPY
URL
COMPLETE

Interview

COMBAT SPORT

原動力は「格闘技が好き」という想い。人生のどん底から、念願のスポーツジム開業までの軌跡【前編】

 2019年5月、泉区将監の元集会場にオープンしたコミュニティスポーツジム「HOBBY BASE」。ムエタイや空手などの格闘技、フィットネス、ダンスなど多種多様なスポーツを楽しむことができます。

 ジムを立ち上げたのは高木 啓介さん。格闘家としてプロで活躍されていた経験を活かし、現在もインストラクターとして指導されています。

 幾度とない挫折と、夢だったジムの開業、格闘技に対する愛。ご自身が「HOBBY BASE」を通して伝えていきたいことについて伺いました。

 

はじまりは「強くなりたい」という想い

ー空手、キックボクシング、ムエタイ……と、さまざまな競技を経験されてきた高木さんですが、ご自身が格闘技を始めたきっかけを教えてください。

「中学生の頃、デパートで買い物をしている時に、友人の弟がチンピラに絡まれたんです。兄である友人の顔を見たら、目を逸らしてるんです。うそでしょ!? と思って、その姿を見て幻滅してしまって。思わず止めに入ったら、今度は僕が胸倉を掴まれて、壁に押し当てられて。人通りは多かったんですけど、誰も助けてくれなかったんですよね。そのうち警備員の制服が見えたので、やっと解放されると思ったら、その警備員も近くをうろうろしてるだけで、全然声を掛けてくれないんですよ。結局、もっと強そうなヤクザみたいな人が来て、チンピラをたしなめてくれたんです。

 兄が弟を助けようとしなかったこと、世間の冷たさ、チンピラの延長上にいると思っていたヤクザに助けられたこと。なにより、反撃できなかった自分にショックを受けたんですよね。自分が強ければ幻滅しなくて済んだのに。そこで初めて『強くなりたい』と思いました」

HOBBY BASE 高木さん

 中学時代は陸上部だったという高木さん。高校の部活では空手部に入部しようと意気込みます。

 しかし、進学先の東北工業大学高等学校(現 仙台城南高等学校)の空手部は県内でも強豪。その迫力に気圧されてしまいます。

「地方道場から強い子達が集まる、全国大会に行くのが当たり前の強豪校で。逃げてしまったんです。結局高校ではフェンシング部に入りました。一応格闘技ではあるんですけどね(笑)」

 一度逃げてしまった、という引け目。大学では必ず空手を始めると決意し門を叩いたのは、「新国際空手道連盟 芦原会館」の支部でした。そこから、高木さんの格闘技漬けの人生がスタートします。

 

3人の恩師と新たな格闘技との出会い

 大学を卒業し、ホームセンターに就職。その後東京で空手雑誌の編集者に転職した高木さんは、ひょんなことから体験取材で須藤 信充選手(元 日本キックボクシング3階級制覇4冠王)とキックボクシングのスパーリング対決をすることに。

「須藤さんは『天才』と呼ばれるような人で。試合内容とかも見てたので強いのはもちろんわかってたんですけど、まあ僕も空手をやってたのでそれなりにできるだろうって淡い期待を持ってたんですよ。でもいざやってみたら何もできなくて……」

―一発も当てられなかったんですか?

「多少は遊び程度にくらってくれてたんですけどね。自分が何もできないでやられたっていうのが本当にショックで……。

 『こう受けて、こう返す』みたいな空手のテクニックも解説するような雑誌だったんで、こんな弱い自分が編集者として人様に技術を伝えるって、そりゃないだろと思って。

 空手とキックボクシングって、同じ格闘技でもまるで違う。自分の知らない技術が目の前にあるのに、それを学ばないっていうのは自分の中にはない! と感じました。だから、須藤さんの所属していたボクシングジムで、リングを貸してくれた高橋 ナオト会長(元 ボクシング日本バンダム級・日本スーパーバンダム級王者)に、『須藤さんの弟子になりたいので話を通していただけませんか』って相談したら、その場で連絡してくれたんです。『お前の弟子になりたいってよ!』って。

 それに須藤さんも了承してくれて、すぐに雑誌編集者を辞めて弟子入りしました」

HOBBY BASE 高木さん

高木さんが書いた実際の記事(高木さんより提供)

 

―そこが格闘家としてのターニングポイントになったんですね。

「そうですね、須藤さんとナオト会長との繋がりがあったから今があるので、2人は恩人ですね」

 雑誌編集者を辞め、須藤選手に弟子入りする形でキックボクシングを始めます。須藤選手の戦い方を真似ながらひたむきに練習していたものの、ボクシングジムということもあり、片身の狭い思いもしたそうです。

「ボクシングとキックボクシングって競技としては違うんですよ。ちょっと前までは『神聖なサンドバッグを蹴るなんてどういうことだ!』と言われてた。ナオト会長はそういうところがおおらかな人だったので、キックボクシングの練習をやらせてもらえてたんですけど。須藤さんが練習にこない日は『こいつ邪魔だな』みたいな視線を感じる訳ですよ。ちょっと息苦しさはありましたね」

 その後、ナオト会長がボクシングジムを離れると同時に、会長を慕っていた須藤選手もジムを辞めることに。須藤選手に付いていく形で訪れたのは、「ムエタイの神様」と呼ばれるチャモアペット氏が会長を務めるムエタイジムでした。

「ムエタイとか、会長の名前とか全然知らないで入ったんです。でも、できないなりに一生懸命やってたらジムの仲間達と仲良くなって、会長も気にかけてくれるようになって。会長がムエタイの9冠王っていうとんでもない戦績の持ち主だったって、後から気付いたんですね。だから、この人にちゃんと教えていただこうかなと本腰入れて取り組みました」

―そこからムエタイ選手としても活動を始めたんですか。

「そうですね。プロのリングに上がるまでにはなったんですけど、全然勝てなくてもやもやしていました。

 そのうち、ムエタイジムが潰れるって話が出たんですよ。その後結局は存続することになったんですが、違う環境で練習しようかなと、須藤さんを頼って別のジムに移動しました。そこでインストラクターという形で働いたのが、指導側としてのスタートですね」

 

東日本大震災、改めて振り返る自分の原点

 インストラクターとして働きながら、ムエタイ、キックボクシング選手としても活動を続けます。

 しばらくして再度チャモアペット会長のジムに戻った直後、東日本大震災が発生。親戚の安否確認が取れない状況が続き、地元である東北が大変な状況の中、このままプロの格闘家を続けるべきかどうか葛藤が続いたといいます。

「キックボクシングって殴り合うじゃないですか、なんかすごく無駄というか、愚かに感じちゃったんですよね。何も悪いことをしてないのに、震災で亡くなった方がいっぱいいる。せっかく命があるのに、なんで自分たちで壊し合うことをしなきゃいけないんだろうって、すごく虚しくなっちゃって。それだったらボランティアのひとつでもやった方がいいよな、って」

HOBBY BASE 高木さん

「テレビで羽生くんが『フィギュアスケートで元気を届けたい』と言っていて。当時は、見つかっていない方もいっぱいいるのにフィギュアやったって何にもならないだろ、ってすごく憤りがあったんです。でも今思えば、結果的に羽生くんの活躍で元気や勇気をもらった人はいっぱいいるし、彼がああいう決断をしたのは、自分にはフィギュアスケートしかないって思ったからだろうし。そう考えると、僕の中のキックボクシングに対しての情熱が足りなかったんでしょうね。

 プロのキックボクシングって興行なので、自分の戦い方でうけるとかうけないとか、人気があるかないかとか、そこで利益を出さなきゃいけないものなんですよ。僕は試合で勝ってもあんまりテンションが上がらなくて、ずっとなんでかな? とは思っていました。

 その時、自分が空手を始めた時のことを思い出したんです。空手は武術なので護身的な意味合いが強くて、人を倒してどうこうとかじゃない。自分には派手な試合はできないし、やっぱり違うな、僕が『強くなりたい』って思ったのはそういうことじゃなかったな、と原点に帰りました。

 中途半端な気持ちでリングに上がるのは他の選手に失礼だなと感じたので、プロ選手を辞めて帰ろうって思ったんです」

 恩師に別れを告げ、仙台に帰ることを決意。「地元の役に立ちたい」という一心で、泥かき、瓦礫拾い、写真洗浄など様々なボランティア活動に参加します。

 多くの被災者の方と触れ合う中で、皆さまざまな事情を抱えており、「立ち直り方は人それぞれ」ということに徐々に気が付いたそうです。

 月日が経ち、少しずつ復興が進んでいくにつれ、高木さんの中でむくむくと膨れ上がっていったのは、「格闘技がしたい」という想いでした。

「チャモアペット会長と別れてからは他の人に教わる気もなくて、本当に格闘技を辞める覚悟で帰ってきたのに、もう一度やりたくなっちゃったんですよね。『ああ、好きなんだな』って」

HOBBY BASE 高木さん

 「好き」という原動力は何よりも強い。自分の格闘技愛を強く感じた高木さんはもう一度空手を始め、格闘技ジムのインストラクターとして働き始めます。

 紆余曲折ありながらも充実した格闘技ライフを再開。そんな折、ジムで知り合ったのは……まさかの詐欺師!

 その人物との出会いが、高木さんの人生を大きく変えることになるのです。

(後編に続く)

HOBBY BASE Webサイト
Instagram
Facebook
高木さんのブログ
YouTube

Photo by 土田有里子

 

佐々木智萌
佐々木智萌

岩手県生まれ、宮城県育ち。運動センスがなくスポーツの経験はほぼありませんが、スポーツ漫画はめちゃめちゃ読みます! 地元の方に向けて、宮城・仙台のスポーツに関する情報をたくさん発信していきます!