仙台スポーツ
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Interview

WHEEICHAIR RUGBY

仙台から日本を席巻する嵐、車いすラグビー東北ストーマーズが大切にするものとは(後編)

 2016年にリオデジャネイロパラリンピックで日本代表チームが銅メダルを獲得したことで車いすラグビーを取り巻く環境にもポジティブな変化が表れた。三阪と庄子はこの機会を捉えようと、車いすラグビーの競技環境が整っていなかった仙台を中心とする東北全域で活動するチーム設立に動く。しかし順調に見えた船出は思わぬところで一変する。

ストーマーズの険しい船出

庄子:「チームは2017年シーズンから連盟に登録、いよいよ始動と言う時に、大きな落とし穴がありました。

なんと私が潰瘍性大腸炎となり入院、一時生死を彷徨いました。大事な時に離脱してしまい、またチームに迷惑をかけてしまったと思っていました。」

三阪:「これで軽い病気だったらハッパをかけようとも思うのですが、かなりの重症だったので本気で心配しました。

ただ、チームは進んでいかなければなりません。

庄子は運営面でもゲーム面でもチームの絶対的な中心でしたので、設立初年度であるチームの運営はかなり苦戦しました。

練習試合をするにしても庄子抜きではレベルの差がありますので、マッチメイクにも苦労しました。」

庄子:「なんとか三ヶ月ほどで復帰し、それからは本調子では無いながらもチームのために精一杯頑張りました。

まずは試合をすること、大会に出ることが目標のチームでしたね。

でもとにかくこのチームを解散させたくないと考えて工夫してやっていました。」

三阪:「あの頃を思うと、2019年に日本選手権で3位になり、2020年は決勝進出を狙っていた状況は200点満点といって良いと思います。

チーム立ち上げの頃に夢物語として“2020年の東京パラリンピックの年に日本選手権で優勝したいね”と話していました。

それが本当に実現するかもというところまで来たのですから。

これには選手一人一人の頑張り、それから代表ヘッドコーチのケビン・オアーが将来性を買って早くから橋本勝也や中町俊耶を代表に呼んでくれたことが大きいと思います。

まだまだ代表で活躍する選手でなかった頃から高いレベルを経験することで二人が急激に成長したと思います。」

手を繋いで進む東北ストーマーズらしさ

庄子:「競技人口が少ないスポーツで、チーム数も少ない。

そうなると、一つのチームの中で選手間の熱量の差が出てきます。

代表で世界を目指す選手、国内で頑張りたい選手、車いすラグビーというスポーツを楽しみたい選手。

チームが強くなってきたことは喜ばしいことですが、それだけでなく、一人一人の温度差を許容しながら、お互いに声を掛け合って一つのチームになれるようにとチーム運営しています。」

三阪:「東北ストーマーズのテーマは“手を繋ぐ“です。

例えば誰かがパラリンピック金メダルを目指して練習強度をあげようとバッと前に出た時、しっかり隣のチームメイトの手を握っているか、手を離して一人だけ離れていないかと、いつも問いかけてきました。

印象に残っているシーンがあります。

2017年の初出場の日本選手権を終えた後、ある選手が“このチームで日本選手権を勝ちたい”と言いました。

その選手は決して高いレベルだけを目指してプレーしている選手ではありません。

いろいろと手探りで進めてきた1年目のチーム運営でしたので、その声を聞いた時、ずっとバランスを取った運営をしてきて良かった、この方針は間違ってなかったんだと思いました。」

三阪:「新型コロナウイルスの感染拡大により、東北ストーマーズも活動の制限を余儀なくされています。

2020年はチームとしての活動はほとんどできませんでした。

正直なところ、モチベーションの維持が難しいところもあります。

だけど、これを一つの良いきっかけと捉えて、本格的に活動再開した際には、改めてこのチームの意義をみんなに問いかけたいと思っています。

東北ストーマーズの第一の設立目的は勝つことではなく東北に車いすラグビー文化を根付かせること。

そのために自分たちはどうあるべきか、世界中が大変なこの変化の時代に車いすスポーツのクラブチームはどうあるべきか、皆で考えていきたいと思います。」

一つの競技を越えて

三阪:「実は庄子とはD-beyondという団体も立ち上げました。

これまで個人として講演活動や教室活動を行ってきましたが、法人とすることで体系立て、大きくしていきたいと考えたためです。

この話も最初に庄子を誘いました。」

庄子:「話を聞いて、即答でOKの返事を出しました。

最初に話を聞いたのは深夜の羽田空港でしたが、もうその時からずっとわくわくしてどんな活動をするか考えていますね。

今は講演や教室を主に三阪が担当し、クリエイティブ面や広報面を私が担当しています。」

三阪:「教室活動ではラグビーキャラバンというパッケージで元15人制日本代表の廣瀬俊朗君と一緒に全国を回っています。

障害のあるなしに関わらず、子どもたちにタグラグビーと車いすラグビーを一緒に楽しんでもらい、その後に大人を対象にアスリートや共生社会に関するトークセッションを開催しています。

これまで北九州・沖縄・三重と回ってきましたが、まだまだ始まったばかりなので、開催地を募集中です。」

庄子:「私はYoutubeを通してパラアスリートの日常や道具面について発信しています。

特に道具面はこれまであまり広く発信されていないと思うので、これをきっかけに多くの人に知ってもらえればと思っています。

独学で動画制作も学び、今アップしている動画は全て自分で編集したものです。」

三阪:「団体名D-beyondのDは障害(Disability)や困難(Difficulty)など7つのDを越えていくという意味で、その一つには災害(Disaster)もあります。

ぜひ宮城、そして東北でも活動していきたいと願っています。」

(参考)

東北ストーマーズ、D-beyondの活動詳細やお問い合わせはそれぞれのウェブサイトから

東北ストーマーズ http://www.tohoku-stormers.info/

D-beyond https://d-beyond.jp/

安藤悠太
安藤悠太

東京大学文学部卒業、早稲田大学スポーツ科学学術院修士課程修了(優秀論文賞受賞)、フランスレンヌ政治学院欧州政治コース修了。学生の頃よりフリーのライターとして活動開始。ニュース記事やコラム、インタビュー記事の編集・執筆から海外での学術書執筆まで幅広く対応。国立のスポーツ機関で10年ほど国内トップアスリートの支援や草の根レベルのスポーツ支援に従事。現在は愛してやまないスポーツの新メディア立ち上げに関わることができ幸せです。宮城のスポーツシーンが盛り上がるよう、東京から記事を届けます。