
東京パラリンピックで注目すべき宮城県にゆかりのある5選手
Interview
WHEEICHAIR RUGBY
※ご本人提供
仙台で今、日本一を目前にして戦っているスポーツチームがある。宮城をはじめ東北全体で活動する車いすラグビーの東北ストーマーズだ。2019年の日本選手権で堂々の3位入賞を果たし、2020年は決勝進出を本気で狙っていた。
あまり知られていないかもしれないが、車いすラグビーは2018年の世界選手権を制覇し、目下パラリンピックの金メダル最有力候補である。激しくぶつかり合う競技スタイルと相手をかわしながらボールを運んでいくタクティカルなゲーム性が注目を集め、2019年に都内で行われた国際大会では会場となった東京体育館の客席が埋まる注目のスポーツの一つとなった。もちろん東北ストーマーズからも期待の代表選手が選出されている。
三阪洋行さん(左)、庄子健さん(右)
三阪:「庄子と話すようになったのは代表活動がきっかけですね。
もちろんそれまでも顔馴染みではあったけれど、庄子が力をつけてきて、2012年のロンドンパラリンピックに向けた代表チームの活動で親しく話すようになりました。
日本代表は2010年の世界選手権で銅メダルを獲得し、代表活動が質量ともに充実してきた時期でした。
それだけに、ロンドンでメダルを獲ってこの流れを未来に繋げて行かなければと言う想いでやっていて、庄子のような新しいメンバーも良い刺激になっていたと思います。」
庄子:「当時所属していた仙台のクラブチームは必ずしも強豪ではありませんでしたが、代表で切磋琢磨し、選手としてレベルアップできたと思っています。
ただ、メダル獲得を期して臨んだロンドンパラリンピックで4位とメダルを逃す結果となってしまい、自分自身、何かを変えないと世界の壁は破れないと思うようになりました。
そこで2016年のリオを目指すにあたり、より高いレベルに身を置こうと、関東のチームへの移籍を考えました。
しかし当時所属していたチームは私が中心でしたので、私が抜けた後どうなるか、非常に悩みました。
結果私は移籍を決断、仙台のチームはその後消滅してしまうことに。
この時の葛藤が東北ストーマーズ設立のきっかけの一つです。」
他のスポーツと同じように現在は活動を制限されている東北ストーマーズだが、次の大会では虎視眈々と優勝を狙っているに違いない。そんなチームを設立から全て知っている三阪洋行と庄子健に話を聞いた。
三阪:「私はロンドン大会後に代表選手を引退していたので、リオ大会ではアシスタントコーチとして、庄子は引き続き選手として参加していました。
準決勝では宿敵オーストラリアに敗れてしまいましたが、3位決定戦ではカナダを下してようやく辿り着いた銅メダル。
嬉しかったのと同時に、少し肩の荷が下りたような気もしました。
パラリンピックでメダルを獲得して、ようやく車いすラグビーという競技を広く知ってもらえる状況になりました。
この競技の裾野を広げるための活動をしようと考えた時に、以前から車いすラグビーのチームがない地域に新しくチームを作りたいと構想レベルで考えてたので、今がその時だと思い実行を決断しました。
そう決断したのも、庄子の大変そうな状況をよく知っていたからでもあります。
車いすラグビーはマイナー競技で競技人口も多くありません。自宅の近くにチームがなく、遠方のチームに参加している選手も多くいます。
庄子自身も仙台に拠点を置きながら、関東のチームで活動し、距離のハンデを持っている選手の一人でした。」
庄子:「私自身、仙台のチームを一つ潰してしまった葛藤はあったので、もう一回仙台にチームをと思っていました。
ただ、当時東北には車いすラグビーをできる環境が整っておらず、車いすラグビー文化を広めるという点では東北全域で活動するチームを作った方が良いのではないかと考え、東北ストーマーズと名付けました。」
三阪:「早速チーム編成に取り掛かりました。私は関東を中心に、庄子は東北を中心にリクルート活動を行い、チーム編成には目処が立った。
次に運営資金面ですが、私の所属先でもあったバークレイズ証券が協力を申し出てくれました。
リオでのメダル獲得を見て、ぜひこの競技を応援したいと言ってくれて、東北で車いすラグビー文化を広めたいという想いにも共感していただけました。
リオでのメダル獲得は、多くの人に車いすラグビーを知ってもらえたという面と、選手の中に代表を目指す意識が強くなったという二つの良い面があったと思います。
マイナースポーツの代表活動というのは必ずしも華々しいものではなく、昔は自腹で活動に参加していた時もありましたし、所属先との調整もあり、代表を目指したくても高いハードルがありました。
ただ、やはり代表チームが海外で活躍することで、それまで代表を意識していなかった選手も代表入りを意識してレベルアップを目指すようになりました。」
庄子:「東北でのチーム立ち上げについては、代表の良いニュースも後押しし、幸いなことに昔の仲間からももう一回やりたいという声をもらいました。
とにかく駆け足でチーム編成を進めました。また現在注目の若手選手である橋本勝也は福島出身ですが、東北全土に活動地域を広げたからこそ発掘できたと思います。」
後編に続く。
東京大学文学部卒業、早稲田大学スポーツ科学学術院修士課程修了(優秀論文賞受賞)、フランスレンヌ政治学院欧州政治コース修了。学生の頃よりフリーのライターとして活動開始。ニュース記事やコラム、インタビュー記事の編集・執筆から海外での学術書執筆まで幅広く対応。国立のスポーツ機関で10年ほど国内トップアスリートの支援や草の根レベルのスポーツ支援に従事。現在は愛してやまないスポーツの新メディア立ち上げに関わることができ幸せです。宮城のスポーツシーンが盛り上がるよう、東京から記事を届けます。