仙台スポーツ
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Interview

FOOTBALL

憧れの舞台で掴み取った大きな自信。若きGK小畑裕馬選手が、仙台を熱く盛り上げる【後編】

提供:ベガルタ仙台

 プロ2年目を迎えたJ1ベガルタ仙台のGK小畑裕馬選手。昨年は、仙台のアカデミー出身のGKとして初めてJ1公式戦のピッチに立ちました。今年から背番号は守護神の証とも言われる「1番」に変更となり、更なる期待がかかります。19歳が見つめる現在の立ち位置、そして未来の展望を伺いました。(全2回)

 

―小畑選手にしかない強みを更に発揮したい2年目。自分の武器をどう考えていますか?

「まだまだ感覚は取り戻し切れてはいないですが、キックには自信があります。ものおじしない、的確にコーチングしていくという部分では他の選手に負けたくないです。今年はもっともっと伸ばしていきたいですね」

―ものおじしない堂々としたところ。これはメンタルの強さというところにもつながりますか?

「元々そんなにメンタルが強いわけではないです。むしろ弱かった。幼稚園の頃はお母さんのそばにいないとダメな子(笑)『幼稚園に行きたくない』と毎日泣いていました。サッカーを始めた頃から、ちょっとずつ強くなっていきましたね」

小畑裕馬選手

オンラインインタビューに答える小畑裕馬選手(提供:ベガルタ仙台)

―元々はフィールドプレーヤーでしたが、ジュニアユースからGKに。当時、憧れの選手はいましたか?

「もうその時から(関)憲太郎(現・J2レノファ山口)さんが好きで、キーパーグローブも真似していました。中学校の頃ですね。元々違うグローブをつけていたんですけど、メーカーも色も憲太郎さんと同じものを買っていました。プロになってその人とチームメートになる……本当に感動でしたね。嬉しかったです」

―関選手ご本人には、憧れていたことを伝えましたか?

「伝えました!でも憲太郎さんは結構ツンデレなところがあるので(笑)『そんなことあるかよ!』って笑っていましたね」

―アカデミー時代の一番の思い出はどのシーンですか?

「やっぱりユースでの最後の試合ですね。(2019年、プレミアリーグ)参入戦(2回戦、対サガン鳥栖U-18。1-2で敗戦)で、ベガルタのアカデミー史上一番惜しかった試合。最もプレミアリーグに近づいた世代でした。そんなに強かったわけじゃないですけど……。1回戦(阪南大高戦。1-0で勝利)は本当に気持ちが入っていて、みんなが一つになったという試合でした。2回戦は最後の最後にゴールを奪われ、自分たちらしい負け方。そういうところでは悔いなく終われましたね。アカデミー最後の試合は印象的でした」

―その時にはトップチームに昇格することは発表されていました。周りの期待は感じましたか?

「そういうところもありましたね。その2回戦の相手も(松岡)大起がいるサガン鳥栖U-18だったんです。意識しましたし、緊張感はありましたね

―運命的なめぐり合わせですね。

「大起とは本当に仲が良いですね。こっちからは牛タンを送ったり、逆に大起は熊本出身なので馬刺しを送ってもらったり。そういうやり取りをしていますね」

―去年のサガン鳥栖戦では残念ながら小畑選手に出番は巡ってきませんでした。今年は対戦が楽しみですね。

「はい。ぜひ対戦したいですね」

 

背番号1の重みを感じて

小畑裕馬選手

提供:ベガルタ仙台

―今年から背番号が1番に変わりました。仙台の「1番」は個性的な選手や象徴的な選手が担ってきた番号でもあります。どんなイメージがありますか?

「背番号1という番号自体が、まず試合に出なければいけないというプレッシャーはあります。サポーターの方々の期待もあると思うので、重く受け止めています。でもそれを真に受け過ぎてしまうと、重さに自分も沈んでしまう。そういう意味では少し楽に捉えて『1番になったからこそ頑張ろう』とい気持ちでやっています」

―背番号1はサッカー界では「正守護神」の番号。小畑選手が最初に思い浮かべる「1番」といえばどなたですか?

「やっぱりダン君(日本代表GKシュミット・ダニエル選手。現・ベルギー1部シントトロイデン)じゃないですか。1番といったら」

―小畑選手はユース時代からトップチームの練習参加をしていて、2019年、当時まだ仙台にいたシュミット選手とは一緒に練習もしていましたよね。

「一緒にやっていますね。ダン君は先日(2月3日)誕生日でした。お祝いのメッセージを送ったら『仙台を頼む』と言われました。託されましたね(笑)そう考えると、本当に重みがありますね。自分の目指しているところも世界の舞台。そういうところは重く受け止めています」

―世界という言葉が出ました。今は19歳。まずは仙台で、J1で活躍して……というところだと思いますが、将来的にはどういう舞台で輝いていたいですか?

「若いうちに海外に行って活躍したいです。そして経験を重ねていつかまた仙台に戻ってくる。そして仙台の方にどれくらい成長して帰ってこられたか、自分のプレーを見て欲しいです。最終的には必ず仙台に帰ってきたいです」

―地元やベガルタ仙台というチームへの愛情は強いですね。

「ずっと成長させてくれたクラブなので、恩返しをしないといけないと思います。憧れていた舞台なので、今トップチームでやれていることも感謝をしなければいけないと思います」

―ご出身は「宮城県登米市」ということですが、仙台に住み始めたのは?

「小学校3年生からです。祖母の家が登米にあるんです。母が里帰り出産をしたので。その後、東京や群馬にも住んでいました。地元と言えば仙台という感覚ですね」

 

人の役に立ちたいと行動した、震災の経験

小畑裕馬選手

オンラインインタビューに答える小畑裕馬選手(提供:ベガルタ仙台)

―大きな被害を受けた東日本大震災発生からまもなく10年となります。その頃、小畑選手はまだ小学生ですね。

「小学校3年生の時でした。当時通っていた(仙台市立榴岡)小学校にいました。びっくりしましたね。教室の掃除をしている時で、先生が『机の下(に隠れて)!』と叫んで、そこからいきなり強い揺れが来ました。その後、数日は車の中で過ごしました。テレビで見た津波の映像に大きな衝撃を受けました。小学生ながら『何かできないかな』と考えたんです。父と一緒に、お寺の人たちで行う炊き出しを手伝いました。(被害の大きかった)石巻にも行きました。津波の跡、変わってしまった街を見て、その光景は今でもまだ心に焼き付いています。衝撃的でした。多くの人が避難する体育館にも行きました。食事が届いていなかったり、お風呂にもなかなか入れない。子供心に胸が痛んだのを覚えています」

―あの頃、なかなかサッカーができる様な状況でもなかったと思います。

「学校が1か月後に再開して、サッカーの練習は2か月ほど中断しました。そんなにすぐにできる環境ではなかったですね」

―復興していく宮城を見つめながら、サッカーを続けて地元でプロになりました。今年はどういう思いを込めてプレーしていく一年になりますか?

「震災発生から10年という節目の年。昨年は不甲斐ない試合が続いたので、この10年目で昨年の良くない印象をはねのけたいです。震災からの復興と言っても、まだまだ進んでいないところもある。見ている人の心に響く試合、勇気と希望を届けられるようなプレーをして、結果を示していきたいです」

 

 サポーターや地域の方々の大きな期待を受けて、プロ2年目の開幕を目指す小畑選手。育んでもらった仙台の街やクラブへの恩返しを胸に刻んでいます。一つのセーブに、一つのキックに強い思いを込め、2021シーズンも力強く戦っていきます。去年よりもたくましく、チームに勝利をもたらすプレーに心から期待しています。

村林いづみ
村林いづみ

フリーアナウンサー、スポーツキャスター。2004年からラジオでベガルタ仙台のトーク番組を担当し、2007年よりスカパー!や DAZNで中継リポーターを務める。ベガルタ仙台レディースは2012年のチーム発足時より取材を開始。ヒーローインタビューと勝利の祝杯を何より楽しみにしている。