仙台スポーツ
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Interview

FENCING

研究の世界から日本の競技力向上を目指す、気仙沼が産んだメダリスト 千田健太【後編】

※ご本人提供

 ロンドンオリンピックで約束のメダルを手にし、帰国後気仙沼で見た歓喜の光景が目に焼き付いている。千田健太はアスリートとしては2016年に引退したものの、地元を大きく動かした「スポーツの力」を広めていくため、現在はアスリートを支援する活動や将来のスポーツ界を発展させるための研究を行っている。インタビュー最終回では、これまであまり語られてこなかった研究活動や将来像について聞いていきたい。

現役を引退し、自分自身が思い描く将来

「現役引退後は、やはりフェンシング競技に近いところでその発展を支えたいという気持ちになりました。そのためには自分にはまだ学ぶべきことがあると思い、筑波大学大学院で修士号を取得後、現在は慶應大学大学院の博士課程に在籍しています。オリンピック銀メダリストという競技者の経験と、大学院で研究した経験を掛け合わせて、フェンシングやスポーツ界の発展に貢献したいと考えています。

 博士課程ではシステムデザイン・マネジメントという分野で、フェンシングの競技力向上を目的とした研究をしています。あまりピンと来ない方もいるかもしれませんが、競技強化の土台を作る、とても大切な部分だと思っています。競技の継続的な発展を考えた場合、たまたま良い選手が出てきたから強くなったというのでは長続きしません。また、強くなるための技術を教えることだけに注力していても、持続的な強化は難しいでしょう。日本がフェンシングの強豪国として認められるように安定的に高いレベルを保っていくためには、選手のパフォーマンスを評価し、その選手の才能を最大限発揮できるように育てていく仕組みが必要です。研究を通して、この仕組みを作りあげることがこれからの自分に課した課題です。

 陸上や水泳と違い、フェンシングはオープンスキルスポーツ(※)なので、パフォーマンスの評価はなかなか簡単にはいきません。試合をして、なぜこの選手が勝って、なぜこの選手が負けたのかを理論的に説明できるようになれば、その知見を日々の指導や育成方針に落とし込んでいくことができます。」
※主に球技などで、対戦相手という外的要因によって競技が左右されるスポーツ。対義語はクローズドスキルスポーツ。

「また、子どもたちにフェンシングを教えたり、スポーツの素晴らしさを伝える講演をする機会もいただいています。そんなときにいつも伝えているメッセージがあります。それは、「スポーツにおいて無駄な経験は無いので、どんどんチャレンジしてほしい」ということです。子どもにとって、試合に負けてしまったり、選抜メンバーから漏れてしまうという経験はとても大きな挫折になり、辛い経験だと思います。でも、どんなに有名なスポーツ選手も、誰もがその競技生活の中で挫折を経験しています。挫折を受け入れ、工夫し、成長した結果、国際舞台で活躍する選手に上り詰めています。そしてその挫折を乗り越えた経験は、スポーツだけでなく人生においても大きな意味を持ちます。私自身スポーツから様々なことを学び、それが人生経験となって今の自分があると思っています。だから、失敗を恐れずにチャレンジしてもらえるよう、いつもメッセージとして伝えています。

 昨年来、新型コロナウイルスの影響で思うようにスポーツ活動ができなかったり、大会が無くなってしまったり、悔しい思いをしている人も多いと思います。東京オリンピック・パラリンピックでは、オリンピックのサッカー競技が県内で開催される他、様々なイベントも開催されます。事前キャンプなどで選手と触れ合うこともあるでしょう。ぜひ大いに刺激を受け、将来のトップアスリートを目指すきっかけになれば良いと思っています。」


 本人が2020東京オリンピック・パラリンピックの招致活動のことを振り返っているときに、その大会に自分が出場しようと考えていたか、聞いてみた。答えは否だった。正確に言うと、あまりに遠いことのように思えて、そこまで考えられなかったそうだ。それもそのはずで、7年前の当時は31歳で迎える予定のリオデジャネイロオリンピック出場を目指してトレーニングを積んでいたタイミング。アスリートにとってオリンピック開催期間である4年は想像以上に長い。それを1大会飛び越えて、その次の大会を想像しろというのは酷な要求だ。

 結果として千田は2016年、出場権を逃したリオオリンピックの裏で引退を決意する。決して2020年東京大会の可能性が全くなかったわけでは無い。リオ大会もわずかの差で出場権を逃したので、もう一回チャンスがあれば、と本人も周囲も思っていたに違いない。

 しかし本人は「スポーツ界のために何ができるか」を突き詰めた結果、引退しアスリートとは違った形で貢献していく道を選ぶ。「宮城のフェンシング指導者が良かったから競技を続けられた」「銀メダルはみんなが獲らせてくれた」と語り、おごらず、いつも地元や周囲の人を考える千田らしい決断ではなかろうか。インタビューの最後に宮城のスポーツファンや子どもたちにメッセージを頼んだところ、返ってきた言葉は「伝えたいことが多すぎて」だった。時に周囲の期待が大きくなり、多くのことをその背中に背負い込ませてしまってはいないだろうかと思うこともある。けれど、もう少し期待させていてほしい。本人が伝えきれていないその部分に、スポーツ界の将来へのヒントが隠れているはずだから。

安藤悠太
安藤悠太

東京大学文学部卒業、早稲田大学スポーツ科学学術院修士課程修了(優秀論文賞受賞)、フランスレンヌ政治学院欧州政治コース修了。学生の頃よりフリーのライターとして活動開始。ニュース記事やコラム、インタビュー記事の編集・執筆から海外での学術書執筆まで幅広く対応。国立のスポーツ機関で10年ほど国内トップアスリートの支援や草の根レベルのスポーツ支援に従事。現在は愛してやまないスポーツの新メディア立ち上げに関わることができ幸せです。宮城のスポーツシーンが盛り上がるよう、東京から記事を届けます。