仙台スポーツ
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Interview

BASEBALL

「仙台は寒いけど、人は温かい」仙台育英・入江大樹がプロ野球選手になるまで

 ずんだ。

 仙台育英の入江大樹に、宮城県ゆかりのグルメで好みを尋ねると、それほど逡巡することなくそう答えた。

 ずんだとは、塩茹でした枝豆をすりつぶして砂糖を加えた、宮城県のソウルフードだ。餅と絡めて食すのが主流ではあるが、近年ではパフェやシェイクなどの「ずんだスイーツ」が人気を呼んでいる。

「甘いものが、結構好きなので」

 身長183センチ、体重83キロの大柄な入江が、はにかみながら趣向を伝える。

入江大樹

 そんな朴訥な高校生が、この秋、プロ野球選手となった。

 10月26日。

 ドラフト会議の当日、緊張はなかった。

 校舎内に設けられた記者会見場に、入江の名が響く。ドラフト5位。指名した球団は楽天だった。仙台育英と同じ宮城県を本拠地とする球団。純粋に、喜びがこみ上げる。

「何度か楽天の試合を観に行きましたし、『いつか、ここでプレーしたい』っていう気持ちもあったので、すごく嬉しく思いました」

 口数は多いほうではない。東北人ならば珍しくはないが、入江の出身はそれとは対極のイメージが持たれる大阪である。

 仙台育英の須江航監督も、入江に対して似たような印象を抱く。

「素朴で純粋な人間です。関西人らしからぬと言いますか、東北人のようなシャイなところがあります」

 ずんだ好きの入江が野球を始めた地、大阪は「野球王国」である。

 春のセンバツと夏の選手権。甲子園球場で開催される高校野球の「2大」全国大会で合計8度の優勝を誇る大阪桐蔭、19年に夏の甲子園を制した履正社など、全国屈指の名門校がひしめく激戦区である。

 入江は地元を離れ、縁遠い宮城県の仙台育英で研鑽を積むことを選択した。春夏合計で41度の甲子園出場。3度の準優勝を誇る東北の強豪校に進学した理由を語る。

「中学の時にイメージしていた高校野球っていうのは、ガチガチに練習しているというか、指導者に言われたことをメインにやるのだと思っていたんですけど、育英の練習を見学させてもらった時に『楽しそうだな』って。選手個人で考えてやるっていうところが、堺ビッグボーイズと似ていたので、『ここで成長できたらいいな』って決めました」

 入江が中学時代に所属していた硬式野球チーム『堺ビッグボーイズ』は、メジャーリーガーの筒香嘉智や西武の森友哉らプロ野球選手を輩出する強豪として知られている。

 今も日本の高校野球に根付く先輩、後輩の厳格なタテ社会。辛抱や我慢、自己犠牲の精神を養わせることを美徳とする風潮がまだ残る。もちろん、それらの教えは人間形成や社会へ出るうえで重要ではある。しかし堺ビッグボーイズは、選手に野球を楽しませることで成長を促す育成スタンスを取っている。したがって、入江にとって仙台育英とは、まさに理想の高校であったというわけだ。

 もっと言えば、そんな環境だからこそ、入江はプロ野球選手になれたのかもしれない。

 入江を育て上げた監督の須江の方針が、まさにそのことを物語っている。

 須江はたったひと言で表現した。

「入江の邪魔をしなかっただけです」

 それはすなわち、「選手の意見を尊重する」ことを意味する。指導者目線でのうがった教えではなく、個性を伸ばすよう手助けする。それは須江の身上でもある。

「入江ほどの素材であれば、『こうしなさい』という方法論を取らないほうがいいと思っていました。今ではインターネットを開けば情報が溢れていますから、監督の技術指導が100%正解とは限らないわけです。ですから、選手それぞれの練習に対してヒアリングを重ねて、考え方や、やりたい方向性を確認するといった交通整理のほうが、今の時代に合っていると感じます。入江の場合、高校での3年間のことを考えると、壁に当たりながらそれを一つひとつクリアできた選手でした」

 1年生の秋からレギュラーを獲得し、2年生夏の甲子園には「3番・ショート」で出場。下級生ながらすでにチームの中心選手だった入江が全国的に脚光を浴びたのは、2年生秋の明治神宮大会だった。

 東北や関東、関西など10地区の各大会で優勝した高校のみ出場できる明治神宮大会は、翌春に開催されるセンバツの「前哨戦」とも呼ばれている。そこで入江は、打線の中心である4番打者として出場した初戦の天理戦で豪快なホームランを放ち、一躍「プロ注目のスラッガー」として名乗り出たのである。

 ただ、世間の関心とは裏腹に、入江はバッティングに課題を抱えていたというのだ。

「あの時は、引っ張ってしか強い打球が打てませんでした。逆方向に打つのが苦手だったので、そこを課題として取り組みました」

 天理戦でのホームランも引っ張った打球だった。右バッターの入江からすれば、レフト方向には気持ちよく打てる。だが、プロは高校生以上に簡単に打たせてはくれない。例えば、自分の体から遠い外角のボールに対して逆方向、つまりライト方向へ強い打球を放てるようになれば、バッターとしてのスキルに幅が生まれ、プロ入りも近づくわけだ。

 そこで入江が参考にしたのは、楽天の浅村栄斗だった。昨年にホームラン王となった球界屈指のスラッガーは、逆方向への長打も魅力の選手である。その浅村のバッティングを、動画サイトなどでくまなくチェックした。

 断っておくが、入江は浅村という「ブランド」に魅了され、安直な意識で真似をしたわけではない。試行錯誤の末にたどり着き、参考としたのが浅村だったのだ。

「まず、『こういう風に打てばいいんだな』っていうのが発見できるかどうかで、参考にする選手を決めているというか。そこから『自分に合っているのか?』って感覚とすり合わせながら試すことが大事だと思っています。浅村選手の逆方向のバッティングは、自分のなかでコツを掴めたというか、実戦で生かせた感じでしたね」

 自発的に行動し、研究を重ねる。だが、決して神経質なわけではない。

入江大樹
「楽観的な部分があるかもしれません」

 入江は自分の性格を簡潔に述べる。そんなマインドが、今年、生きた。

 本来ならば力を示し、その名を全国にアピールできるはずだった春のセンバツが、新型コロナウイルスの感染拡大によって中止となった。出場が決まっていた仙台育英をはじめ、代表チームが悲嘆に暮れるなか、入江は「ネガティブに考えていなかった」という。

「センバツが中止になったことに関しては、特に不安はなかったというか……」

 入江がボソッと呟く。まるで自分と同じ境遇の選手たちを慮るように、「中止になってどうとか、あまり考えていなかったというか」と、少しだけ笑みを見せてから続ける。

「試合でアピールすることも大事ですけど、コロナの期間で『もっと成長できる』と思っていたというか、前向きに捉えていました」

 野球部の活動自粛期間、自主練習に励んでいた入江が参考にしたもの。

 それは、〝一般の声〟だった。

 この時、もうひとつの課題と自覚する、守備の向上にも重きを置いていた。

 入江が守るショートは見せ場が多い。単純にボールを捕る、投げる以外にも、ピッチャーとの連携や外野手との中継プレーなど、その動きは多岐にわたる。花形ポジションのひとつと言っていいだろう。

 守備でも重責を担う入江が着目したのは、動画サイトの視聴者コメントだった。

 自分が甲子園などでプレーしている動画を開く。ゴロを捕球する体勢、グローブの使い方、脚の運び、スローイング。〝名もなき解説者〟たちの声と、映像を照合させる。

 アスリートは我が強い選手が多い。極端に表現すれば、「俺が一番だ」と信じて疑わない。アマチュアともなればそんな「お山の大将」は多く、ましてや強豪校の中心選手ともなればプライドがあるだろう。専門家とも素人とも判別がつかない人間などに「言われたくない」。そう憤慨してもいいはずだ。

 だが入江は、そんな感情はないとばかりにかぶりを振って、気持ちを述べる。

「知らない人に言われて、悔しいとかはないです。『あ、そこが足りてないんだ』って素直に思いますね(苦笑)。参考にさせてもらいましたし、守備もレベルアップできました」

 成長の過程には、このような柔軟性も欠かすことはできなかった。

 大阪から直線距離でおよそ600キロも離れた仙台でも楽しんで野球に打ち込んだ。

 コロナ禍の影響によって夏の甲子園も中止となったが、宮城県高野連が独自に開催した大会で仙台育英は優勝、東北大会では準優勝で終えた。そして何より、念願のプロ入りを果たせた。入江の選択が間違ってはいなかったことは、結果が証明している。

 壁を一つひとつ乗り越えた――そう舌を巻く監督の須江も、入江の成熟に想いを馳せる。

「右バッターで長打がある。守備にしても、体は大きいですけど、みなさんが『うまい』と評価されている高校生のショートより守れると思っています。スケールがありますし、もしかしたらプロで跳ね上がる可能性があるというか、夢のある選手かもしれません」

 恩師が認めるほどのスケール感を身に付けた入江は、今年から楽天の選手として、子供の頃から目指していた夢舞台に立つ。

「右の長距離バッターとして評価してもらえるように、大きく成長したいなって思います」

 楽天の本拠地である楽天生命パーク宮城は、高校時代から慣れ親しんだ、入江にとっても「ホーム」である。

あの拍手と声援は、いつでも鮮明に呼び覚ませられる。入江は仙台について聞かれると、いつも紡ぐ言葉を決めている。

「仙台は寒いけど、人は温かい」

 生まれ故郷の大阪は、どちらかというと辛辣な野次が多い。それが愛情表現の裏返しだとわかっていても、やはり仙台、宮城県の人たちのぬくもりに惹かれる自分がいる。

 プロとしての第一歩を踏み出した1月。入江は、以前から痛めていたとされる左肩を手術することを決断した。

 もしかしたらデビューが遅れるかもしれない。だが、悲嘆など無意味だ。温かい仙台、東北のファンは、入江を待っている。

入江大樹
Photo by 土田有里子

田口元義
田口元義

1977年、福島県生まれ。2003年からフリーライターとなり、雑誌やウェブなどに寄稿。著書に『負けてみろ。 聖光学院と斎藤智也の高校野球』(秀和システム)がある