
新たな仕事は『まちをクリエイト』すること。元サッカー選手・田村直也が描くキャリアと仙台の未来【前編】
Interview
FOOTBALL
一年を通して芝生が青々と輝くユアテックスタジアム仙台(仙台市)。サッカーJ1ベガルタ仙台のホームスタジアムとして多くのサポーターに愛されるフットボール専用スタジアムです。数多くの熱戦が繰り広げられる緑の舞台を管理するのはグラウンドキーパーの和賀友樹さん(46歳)です。仙台市出身の和賀さん、実はちょっと変わった経歴の持ち主なんです。日本を飛び出して、再び地元に戻ってきた「緑の絨毯の守り人」その素顔に迫ります。(全2回)
―和賀さんは仙台市ご出身なんですよね。
「はい。地元ですね。仙台第一高等学校を卒業して、大学は福島へ行きました。福島大学の行政社会学部(当時)というところですね。その後、一般企業に勤めて、仙台空港で仕事をしていました」
―一度サラリーマンをしていたのですね。そもそも和賀さんとサッカーとのつながりは?
「大学でサッカーの同好会にも入っていましたし、細々と長くやっていました。1997年に大学の卒業旅行でイングランドへ行ったんです。サッカー見ようと思って、オールド・トラッフォードやスタンフォードブリッジに行きました」
実は試合チケットを持たずに現地に赴いたという和賀さん。マンチェスター・ユナイテッド対アーセナルというビッグマッチにチケットはもちろん完売。路頭に迷っていたところ、思いがけない「出会い」が待っていました。
「日本から来て、チケットがない。でも見たい。どうしようとオールド・トラッフォードの周りをうろうろしていたら、地元の人が『どうしたんだ?』と声をかけてくれて、自分のシーズンチケットを貸してくれたんです。直前に話しかけられたダフ屋には『500ポンド』と言われ買わずに逃げたんですけど。貸してくれた人には『いらない』って言われたけど、100ポンドをお礼で渡しました」
自分も見たかったでしょうに、見ず知らずの日本人旅行者にチケットを貸してくれたおじさん。イングランドにも心温まる人情話がありました。そうしてスタジアムに入った和賀さんを、更なる衝撃が待っていました。
「チケットに書かれている席のエリアに入ってみると、これがゴリゴリのサポーターの席で……。隣が子供とお母さんの席で少し和んだんですけどね。試合は確かマンチェスター・ユナイテッドが0-1で負けました。周りの応援歌がもうすごかったんです。イングランドのサポーターは声で試合の全て包み込む。赤いユニフォームに緑の絨毯……圧倒されました。旗もない、ただ声のみ。その応援文化に圧倒されましたね。サッカーを観に行くまでの道すがらのパブの雰囲気もいい。スタジアム、サッカー文化に圧倒されたんです。日本にはないな、仙台スタジアムにそういう文化が生まれるといいなぁと、その時強く思いました」
真冬で寒かったにもかかわらず、一面に広がった美しい緑の芝に心をときめかせた和賀さん。しかしこの時既に、大学卒業と就職内定は決まっていました。「いつかこういう仕事をしたいな」という思いを胸に抱きながら就職。4年ほど仕事をしましたが、あの時の光景がいつまでも脳裏に焼きついていました。28歳で一念発起して語学学校で学び、ニュージーランドのスポーツターフの専門学校へと入学しました。
ニュージーランド時代の写真 ※ご本人提供
―ニュージーランドと言うと、ラグビーの本場。大自然のイメージもありますが、なぜそこで芝について学ぶ学校に入ろうと思ったのですか。
「語学学校の先生の一人がニュージーランドの人だったんです。ポールさんという方で、ラグビーが好きでニュージーランドの住みやすさや物価の安さなど良いところを聞いていたので。またスポーツターフの仕事につながる学校があるという話を聞いたのでニュージーランドを選びました。僕が通ったのは『オタゴ ポリテクニック』という学校です。国営の職業訓練校、短大みたいなもので、そのスポーツターフマネジメントコースで2年間学びました。いろいろな学科があって広かったですね。隣にはワイン用のぶどうの果樹園がありました。リンゴの木があったりして、昼休みにはリンゴをかじりながら歩いていました」
―すぐ近くで作物が育てられている。そう考えると「芝」は農業的でもありますね。
「そうですね。農業的なことで言うと毎年、芝という生き物を作るというところ。でも農業と違うところで考えると、農業はお米や野菜など成果物ができる。でも芝はそういうものがあるわけではない。何か成果が生まれるわけではなく、年間通して『維持する』というものなんですよね。そういう点では工業的ですよね。クオリティーを維持し、管理する。JリーグにはJリーグに求められる基準の芝を維持管理する。その中で補修をしたり刈り込みをしたり、肥料をやったりするんです」
―印象的だった授業は?
「向こうで初めて銃を撃ちました。卒業生はゴルフ場で働く人が半分くらいなんですけど、その中で害になる生き物が出てくるんです。それを駆除するために銃を撃つんですが、それも授業に組み込まれていました。資格を取るんですね。日本では考えられないですけどね。(日本では)マタギの仕事まではしないですね。向こうではイギリスからの文化があって、それがスポーツにもなっていたり、伝統としても残っているんですよね。(狩猟の)解禁時期になるとみんなで野うさぎを撃ちに行ったり、鴨やシカを撃ちに行ったりとか。それが格好いいという文化でなんですね」
―いろいろな文化が根付いているんですね。
「そうですね。職業の考え方もあって、あっちの方では農業は格好いい。アメリカなどでもそういうところはあると思うんですが、憧れの職業なんですよ。だからラグビー元日本代表のルーク・トンプソンも引退後に農業をしていたりするんですよね。いずれは土地を買って農業をする。羊を飼ったり、小麦や野菜など何かを作ったりするのが格好いいという考え方です。グラウンドキーパーもニュージーランドでは憧れの職業です。ロマンがあるんですよね。だから芝について学べる学校もある。僕は10人くらいのクラスだったんですけど、みんなオーストラリアやニュージーランドのゴルフ場やスタジアムで働いて、ゆくゆくはそういうところを任されて、更に外の世界へ出て行くというストーリーがあるんですよ。夢もありますし、稼げるんですよね」
―ニュージーランドではサッカーとの関りはあったのですか。
「オークランドにいた時は『日本代表』としてプレーしていました。16か国くらいのいろんな人が集まってトーナメントをやっていて、僕も日の丸を背負っていました(笑)海外の選手はプレーがラフで、肘が入って鼓膜が破れましたね。僕はDF。CBで、ベガルタで言うとシマオマテのポジションだったんですけど、激しいんだなって思いました。日本の選手同士だと遠慮があったり、そこまでの激しさはない。でも外国の選手との戦いだとこうなるんだって。国を背負うってこういうことなんだなって思いました(笑)」
―学校卒業後の進路は。
「途中、インターンでゴルフ場やラグビー場で働いて研修して、卒業後はニュージーランドのクリケット場で2年間働きました。クリケットの日本で言うところの『Jビレッジ』みたいな施設で仕事をし、向こうのクリケット協会の施設で仕事をしましたね。」
クリケットとは英国、オーストラリア、インド、南アフリカなどを中心に大人気で、世界の競技人口はサッカーに次いで第2位といわれるスポーツ。試合は芝生のグラウンドで1チーム11人の2チームで対戦。専用のバットとボールを用いて、それぞれが交互に守備と攻撃(打撃)を1回ずつ行い、得点を競います。4年に1度開催されるワールドカップは、数億円の年収を稼ぐスーパースターたちが、10万人規模のスタジアムで壮大で華やかな舞台を繰り広げます。テレビの視聴者数は、15.6億人に上り、単独のスポーツイベントとしてはサッカーに次ぐ規模でもあります。(日本クリケット協会HPより)
―クリケットとは意外でした。
「クリケットって日本では知名度がないですよね。帰国後はクリケット協会つながりで、栃木県佐野市で3年くらいグラウンドキーパーとして働きました。当時は日本にきちんとしたクリケット場も無く、兼任で普及活動をしていました。佐野市はクリケットを推奨していて小学校の授業でクリケットをやってくれる。私も競技経験はないですがコーチングのライセンスを取っていたので、子供たちに教えに行きました。4~6月に外国人のコーチを連れて行って英語を交えながら出張授業をしていました」
―子供たちの反応はどうでしたか。
「クリケットのピッチャーって『ボーラー』と言うんですけど、ボールを投げる時には肘を曲げず、助走をして投げるんです。慣れないですよね。野球をしている子は、肘を曲げないようにしても曲げてしまう。でも全くスポーツをやったことがない子、運動が苦手だと思っていた子が意外とすんなりできたりするんです。そこで立場が逆転するんです。それが面白い。今まで自分は運動音痴だと決めてしまっていた子が上手くできるんです。活動には子供のスポーツ嫌いを防ぐ、そういう意味合いもありましたね。小さい時に『私スポーツ嫌い』と思ってしまうと、その先なかなかできなくなってしまう。いざやろうとしても体が動かなかったり……。そういう子供たちを減らしたいと思って取り組んでいました。全然クリケットに進まなくてもいいんですよ。そこをきっかけに自分を知ってもらえたらな、と」
日本に帰ってきましたが、まだユアスタにはたどり着かない和賀さん。しかし、ニュージーランドや栃木県佐野市での豊かな学びや経験が、この後、仙台が誇るサッカー専用スタジアムに投入されます。(続く)
Photo by 土田有里子
フリーアナウンサー、スポーツキャスター。2004年からラジオでベガルタ仙台のトーク番組を担当し、2007年よりスカパー!や DAZNで中継リポーターを務める。ベガルタ仙台レディースは2012年のチーム発足時より取材を開始。ヒーローインタビューと勝利の祝杯を何より楽しみにしている。