
仙台での活躍は、必然。子どもの頃に『シュートで生きていく』と決めた中島元彦【前編】
Interview
FOOTBALL
提供:ベガルタ仙台
厳しいJ2リーグの戦い。その終盤戦に、ベガルタ仙台に一筋の光が差しました。2月のキャンプで右膝に大けがを負ったMF松下佳貴選手の戦列復帰です。「センスの塊」とも評される松下選手は、他の誰にも真似できない技術とアイディアで、ピッチ上に違いを生み出しています。帰ってきた「背番号8」に今年の歩みや今の気持ちを伺いました。(前後編)
―チームにも大きな変化があったシーズン終盤戦。松下選手は、けがから復帰し試合出場を果たしました。最近はどんなことを感じていますか?
「試合に復帰して、チームがJ1に復帰するためにやっています。自分が試合に出て、今までのチームの状態、プラスαで何ができるか、考えながら臨んでいる状況です」
―第35節の大分戦から復帰。少しずつ試合出場時間も伸ばせていますね。
「そうですね。膝の状態を見ながらですが、ちょっとずつは伸ばせている状況かなと思います。でも、やっぱりゲーム体力は無くなっているというか、いい状態で90分できる状態には正直持っていけているのかな? という感じはあります。まだ足りないですね」
―しかし復帰されてからのプレーを見ると、本当に技術というものは錆びないんだなと実感しました。
「いや、自分的にはまだまだ。ボールフィーリングのところもそうですし、視野の確保の仕方、視野の広さも、物足りないところが多いです。以前だったら余裕を持てるような状況でも、いっぱいいっぱいになってしまう時もあるので。僕としては『下手になったのかな』って感じですね」
―下手になったという言葉が、松下選手には全く似合わないです。けがの時のことも少し振り返って頂きたいのですが、キャンプ中の大けがで右膝の前十字靭帯断裂でした。
「怪我をしてすぐに病院に行って、その段階で前十字だというのはわかりました。正直に言うと、結構きつかったですね。そういう時ってみんなが優しい言葉をかけてくれるじゃないですか。それを聞くだけで何だか涙が出て……みたいな状況だったんで。その時に、それだけ今年に懸ける想いが自分にはあったんだと思い知らされました。1年でJ1に復帰するというのが、今年の最大の目標というか、それしかないと思っていました。それなのにほとんどの試合に出られなくなるというのは精神的には結構きつかったです」
チームをJ1に戻すという強い責任感がプレーの根底にある(提供:ベガルタ仙台)
―松下選手ご自身がチームを引っ張って、J1復帰を果たしたいという思いが強かったからこそ、その辛さは、なお更だったのではないですか?
「そうですね。J2に落としてしまった責任もありましたし、去年はキャプテンマークを巻かせてもらう立場にいたので。全員がJ1復帰するための責任感を強く持っていたと思いますが、その中でもより一層意識していたので、その分だけきつかったです」
―そうした思いを抱えながらも、まずはけがを治さなければいけない。どんなふうに心をプラスに持っていこうとしていましたか?
「無理に前向きに考えることもないかなと思いました。けがをして、手術までに時間があったので、その期間はもうひたすら筋トレをやっていました。目の前に与えられたことをただやって、ちょっとずつ頭の中を整理していった感じかなと思います」
―これまでも膝や足首で、長期のけがや手術を経験していますが、受け入れることは簡単ではないですよね。
「はい。今回は特に全治6~8ヶ月と復帰までの期間が長かった。復帰することをイメージしづらいというか、かなり先だったので。そういうこともあって落ち込み気味ではありました。でも、チームメートの前でそういう姿を見せる必要はないですよね。みんなの前では普通にふるまっていましたけど、いざ1人になると結構……。でも今となっては、その期間があっての復帰なので、うまく乗り越えられました。その状況に向き合えたから、今があるのかなと思います」
練習場の片隅や室内で黙々とリハビリメニューをこなしてきた
―いつも支えてくれる奥様にとってもショックは大きかったのではないですか?
「けがはキャンプ中だったので状況を伝えた時は、僕よりもずっと冷静に受け入れていました。特別何かを言って励ますというより、普段通りの対応です。リハビリ中も、普段通りに過ごしていました。僕がいないところでどうだったかはわからないですけど、僕と一緒にいる時は妻も“すごく普通”だったので、僕にはそれが良かった。ありがたかったなと思います」
―共に長いリハビリを行って復帰を目指してきた蜂須賀孝治選手の存在もありました。これは、お互いにとって大きかったですね。
「ほとんど同じリハビリメニューをしていたんですけど、結構僕は文句を言いながらやるんです(笑)ハチ君(蜂須賀選手の愛称)は、ひたすら黙々とやっているんですよ。だからハチ君がやるから僕もやらないといけないし、そういう意味ではハチ君についていっていましたね。(中山)仁斗君やフッ君(福森直也選手)も途中でリハビリに来ましたし、そういう時はみんなでワイワイしながら乗り越えてました」
―夏前あたりでしょうか。リハビリをする松下選手をふと見ると、筋肉がついて、とてつもなく体が大きくなっていました。シルエットまで変わって、「肉体改造」という感じでしたね。
「相当筋トレをしました。やっとサッカー選手っぽい体になりましたね(笑)それまでが細すぎたので。だから、もうプレースタイルも変えようかなと思いますけどね。真瀬(拓海選手)とか、そっちのゴリゴリのフィジカル系にしようかなって(笑)」
―2月から8月末まで、本当に長いリハビリ期間でした。その間を一緒に過ごしたのはトレーナーさんたちやフィジオセラピストの松田拓也さんですね。
「そうですね。基本的には松さん(松田さん)のところでリハビリ期間を過ごしました。松さんは厳しいですね。厳しいけれど、僕のことをわかってくれる。わかってくれているからこそ、メニューは妥協しない。やることはしっかりやる。こっちは冗談で文句を言っても、冗談で返してくれる。いい雰囲気でやれたかなと思います」
松田フィジオとのトレーニング。マンツーマンで、心と身体に寄り添ってくれた
―筋トレも含めいろんなメニューをこなしてきたと思うのですが、一番きつかったメニューや、「ここは山場だな」と思った時はどの段階でしたか?
「復帰直前ですね。全体合流する前と、合流してからの走りです。松さんのところの走りのメニュー、MJ(松本純フィジカルコーチの愛称)のトレーニング。きつかったですね。みんながアウェーのFC琉球戦で沖縄に行ったじゃないですか。仙台に残って、僕一人でとんでもないメニューを渡されて……。とにかく走らされたんですよ。もう、しばいたろかな!って思ったんですけど(笑)MJも厳しいですね。折れないしブレないんですよ。本当にフィジカルコーチっぽいです」
MJこと、松本純フィジカルコーチ。厳しいメニューで、松下選手を戦い抜ける体に仕上げた
―いろいろな山場を乗り越えて、8月末に全体練習に「完全合流」しました。その時には取材で「けがを恐れて一歩が出せないようでは良くない」と話されていました。でも、それは相当勇気がいる考え方だと思いました。
「復帰して試合にも出ていますが、『ここで相手に強く行ったら、もしかしたらまた怪我をするかも』みたいなことを考える余裕もないです。守備などのタイミングで足を出す時は、やっぱり自然に出てしまいます。そういうところではガツッと行けている時もありますけど、ちょっとした一歩だとか、そういうところはまだ完全には戻せていなくて。もう少しやっていかないといけないところでもあるのかな。でも、怖さというのはそこまで感じずにやれているのかなと思います」(後編へ)
フリーアナウンサー、スポーツキャスター。2004年からラジオでベガルタ仙台のトーク番組を担当し、2007年よりスカパー!や DAZNで中継リポーターを務める。ベガルタ仙台レディースは2012年のチーム発足時より取材を開始。ヒーローインタビューと勝利の祝杯を何より楽しみにしている。