仙台スポーツ
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Interview

FOOTBALL

仙台での活躍は、必然。子どもの頃に『シュートで生きていく』と決めた中島元彦【前編】

(提供:ベガルタ仙台)

 

仙台の中盤に、中島元彦あり。4月にセレッソ大阪から育成型期限付き移籍で仙台にやってきた中島選手は、そのプレーとキャラクターで仙台のサポーターを魅了しています。正確なキックと豊富な運動量を誇り、ボランチの一角でもはや欠かせない選手となりました。仙台での日々や大阪時代に見つめてきた先輩たちの姿。彼のこれまでの歩みについて伺いました。(前後編、インタビューは9月1日に実施)

 

―仙台に来て早くも5ヶ月が経ちました。ここまではどんな日々でしたか?

「充実しています。サッカーしかしていないですけどね」

―仙台への加入は4月でしたね。FWの選手が来た! と思いましたが、ベガルタでは主にボランチで輝いています。これは想定内、想定外、どちらでしたか?

「うーん。契約が決まる前に原さん(原崎政人・前監督)とも話して、『ボランチで出てもらうかもしれない』とは言われていました。どの位置で出ても良いというイメージは持っていましたが、こんなに定着するとは……という気持ちです。どのポジションで出ても活躍はできると思っていましたが、(ボランチに)こんなに定着しちゃうんだなーとは思いましたね」

―これまでも経験しているポジションですし、できる能力があるから任されると思いますが、中盤で出続ける中での新たな発見はありましたか?

「以前は、ボランチは付け焼刃で、『人がいないからやって』という状態が多かったです。僕は、自分自身を良さも悪さもたくさん持っている選手だと自己評価しています。それを継続して、一つのポジションで出続けることによって、良くない部分が、ちょっとずつですが減っているなと思います」

―中島選手に「悪いところ」なんてあるんですか?

「理想が高すぎて、自分のプレーが悪く見えているのかもしれないです。後からプレーの映像を第三者目線で見ると、そこまで悪くないなということがほとんどなんですけど。でも実際にプレーしている時は、自分の理想像に近づけたいとプレーしているので、悪く見えます」

―自分自身に求めるものが高いのかもしれませんね。

「そうですね。もっとやれると自分に言い聞かせています。自分が見てきた選手の中で一番上手いと思う選手を思い浮かべて、このレベルまではいけるという理想を持っています。守備も攻撃もそういうイメージを描きながらやっています。それを超えようとしている最中で、失敗もあるんですが、理想は常に高いです」

ベガルタ仙台 中島元彦選手

現状に満足せず高い理想を持ってプレーする。まだまだ成長していける(提供:ベガルタ仙台)

 

―これまでセレッソ大阪でも名だたる選手たちのプレーを見つめてきましたね。

「はい。それこそ、小さい時からスタジアムでも試合を見ていました。選手たちをスタンドから見るのと、一緒サッカーするのとではやっぱり違います。上手さの質というか、プレーの細部までわかるので、プロになってから改めてすごいなと実感しました」

―大阪で育ってきて、一番の憧れの選手というと誰が浮かびますか?

「一番ですか?うーん……。セレッソで歴代の『8番』をつけてきた選手は常にアイドル的存在でした」

―プロになって一緒にプレーすることができた『8番』は誰でしたか?

「(柿谷)曜一朗くん(現名古屋グランパス)と、清武(弘嗣)選手ですね」

―そういう選手たちとプレーしたことで感じられたことはどういうことでしたか?

「真似できるところと真似できないところがはっきりしていますね。逆に自分が持っている良いところもたくさんあります。でも、真似できるところは全部真似してやろうという気持ちを持ちながら練習していました」

―小さい頃からセレッソを見てきて、そのユニフォームを着ることになったということは特別なことだったのですか?

「大阪で育って、出身地はどちらかというとガンバ寄りだったんです。大阪にJリーグが2チームあったので、試合は両方見に行っていました。小学校でセレッソの下部組織に入ることができたので、そこからはセレッソしか見ていないです。セレッソに興味を持ち出して、もうサポーターみたいな感じになっていました。自分もジュニアチームに入っていましたけど、小学生だったので、試合は本当に楽しみに見ていました」

―当時のスタジアムやプロの選手たちは、中島少年の目にどのように映りましたか?

「やっぱり格好良かったですね。その中でも、一番活躍している選手はみんなの注目を集めるし、期待感が他の選手以上に高まる存在。そういう選手になりたいなって思っていました。応援は、今は(コロナ禍でスタジアムでの)声を聞けていないですが、小学生の頃の自分はめっちゃ声を出していたので、今の小学生たちにも思い切り声を出させてあげたいですね」

ベガルタ仙台 中島元彦選手

毎日の練習から勝負は始まっている。ミニゲームでもとことん勝負にこだわる

 

―小学生の頃からセレッソでプレーし続け、桜色以外のユニフォームを着たのは、2020年のアルビレックス新潟と、今年のベガルタ仙台の2回だけですね。新潟への期限付き移籍はどのような経験でしたか?

「1回新潟への移籍を経験していたので、仙台へは来やすかったです。新潟の時は本当に誰も知らなくて、ガッチガチに緊張していました。でも同い年や年下の選手が結構いたので、すぐに仲良くなれました。でも、むちゃくちゃ緊張していました(笑)21歳の時ですね」

―そこでシーズンを通して試合に出続け、チームの中でも欠かせない存在に。そういう経験はかけがえのないものだったのではないですか?

「そうですね。新潟の時も監督から信頼して起用してもらえました。信頼してもらえると力を発揮できるタイプなので。継続して試合に出してくれた監督に感謝ですね」

―仙台に来ることについて、一番の決め手になったことは?

「そうですね……。仙台の強化部の方が大阪まで来てくれることになったんですよね。それが4月4日のことです。それまでは、大阪を出る気は全くなかったんですけど、セレッソの方とも話して『成長するために出てもいいんじゃないか』という話になって決めました」

―仙台でも瞬く間に欠かせない存在になりました。チームの軸になれていることについてはどう思いますか?

「当たり前かな、と思います。セレッソでも試合に出られたら、そういう存在になれると思うんですが、試合に出るまでが長いんです」

―選手層が厚く、熾烈な競争があるということですか?

「そうですね」

ベガルタ仙台 中島元彦選手

練習の合間には楽し気な表情も見られる。笑顔や言葉を交わし仲間とコミュニケーションを取ることも多い

 

―仙台には同世代の選手も多く、毎日楽しそうな雰囲気が伝わってきます。中島選手は、その中でもリーダー的存在な感じがしますね。

「いや、リーダーかはわからないですが、結構同世代は仲良い感じですね。それぞれのキャラもあるので。真瀬(拓海)はみんなにいじられるし(笑)自分は、年上の選手からはいじられるんですけど、だいぶ上の選手しかいじってくれないです。いじられるのも好きなんですけどね。だから、いじる方が多いかなぁ」

―真瀬選手や大曽根広汰選手あたりをいじっている感じですね。

「いじってます(笑)」

―若手メンバーの中で、このキャラクターは良いなって思っている選手はいますか? 推していきたいメンバーですね。

「誰やろ……。可愛がっていると言えば(鎌田)大夢ですね。毎日ゲームしたり、サッカーの部分でも良く関わっています。あいつは上手いんで」

―スタイルは違いますが、上手さとかテクニックの部分で通じ合えるものがあるのでは?

「それはわからないですけどね。でも大夢には光るものがあって、試合に出られない悔しさや歯がゆさがある。それは自分も経験してきたことなのでわかる。なんだか、面倒を見てやりたくなります。もうタメ語で良いのに、めっちゃ敬語なんです。『モト君、モト君』って来てくれるところが可愛いですね」(後編へ)

 

村林いづみ
村林いづみ

フリーアナウンサー、スポーツキャスター。2004年からラジオでベガルタ仙台のトーク番組を担当し、2007年よりスカパー!や DAZNで中継リポーターを務める。ベガルタ仙台レディースは2012年のチーム発足時より取材を開始。ヒーローインタビューと勝利の祝杯を何より楽しみにしている。