仙台スポーツ
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Interview

FOOTBALL

イリュージョニスト・鎌田大夢が、仙台に見せる独創性と『大いなる夢』【後編】

(提供:ベガルタ仙台)

 

「海外でプレーする」という夢を抱く鎌田大夢選手は、仙台での日々で目標に近づくため自分を磨き続けています。常に彼の前を行くのは、5歳年上の兄、サッカー日本代表の鎌田大地さんです。その背中を見つめながらも自分自身で未来を切り開いていく鎌田選手。彼のこれまでの歩みを伺いました。

 

ー鎌田選手は愛媛県のご出身ですね。サッカーを始めたのは何歳の頃ですか?

「3歳ぐらいですかね。兄がサッカーをやっていて、自然と一緒にボールを蹴っていたという感じです」

ー鎌田家は2人兄弟ですか?

「3人兄弟です。一番上に兄がいて5つ上。その下に1人姉がいます。姉はサッカーはやっていないですね」

ーお兄さんはドイツ・ブンデスリーガのアイントラハト・フランクフルトで活躍している鎌田大地さん。これまでの取材でも、お兄さんのことを聞かれることは多かったかもしれませんね 。そういうことは嫌ではないですか?

「最初はそういう思いもありましたが、兄はもう、だいぶすごいところまで行ってしまったので(笑)今は何とも思っていないですね」

ーサッカーという共通点がありますが、兄弟の仲は良い方ですか?

「はい。普段は連絡を取らないですけど、会ったらすごくしゃべりますよ」

5歳年上の兄、鎌田大地選手。人生の節目には兄に意見を求めることも(提供:DPA/共同通信イメージズ)

 

ー鎌田選手は生まれ育った愛媛を飛び出して、中学生年代からは JFA アカデミー福島に進みます。この進路はどのように選んだのですか?

「実は兄がJFAアカデミーのセレクションを受けて最終選考で落ちていたんです。兄はガンバ大阪(ジュニアユース)に入ったんですけど。『アカデミー、大夢も受けてみたら?』みたいな感じで勧められて、セレクションを受けたら受かっちゃったという感じです」

ー受けたら受かっちゃったのですね。合格する自信はあったのですか?

「いや、当時はただサッカーが好きで、セレクションという感じではなく、サッカーを楽しみに行っていたという感じでした。受かるために頑張ろうという意識はなかったです」

ーここで親元を離れて、環境がガラッと変わりましたね。

「僕が入った時は、JFAアカデミーは福島ではなく静岡(※)にあった頃でした。この3年間は、本当にサッカーというものを教えてもらったという時期でした。個人技ではなく、チームとしてサッカーをするということですね。中3の一年間は、延々とパス&コントロールの練習。そしてポジショニングの取り方も教えてもらいました」

(※東日本大震災の影響でJFAが拠点としていた福島県のJビレッジが使用できず、JFAアカデミー福島は静岡県御殿場市に拠点を移していた。2021年からは福島での活動を再開。)

ークラブチームや Jリーグの下部組織などでも優れたトレーニングは受けられますが、取り組むサッカーのスタイルによっては触れることのできない内容かもしれませんね。

「そうですね。今でもポジション取りが良いと言われることがあるので、それは本当に中学時代に学ぶことができたものだと思います」

ベガルタ仙台 鎌田大夢選手

昌平高校時代の鎌田選手。3年生の高校サッカー選手権ではベスト8に貢献(提供:共同通信)

 

ーJFAアカデミーでの中学時代を経て、高校生年代では埼玉県の昌平高校へと進学します。

「兄を見てきて『高校サッカーはかっこいいな』って思っていました。正直迷っていたんです。アカデミーで(U-18に)上がろうかなと。その時は、兄に電話して話したりもしました。結局は『好きにしたらいいんじゃない?』と。それで高校サッカーにしました」

ー昌平高校ではどのような3年間を過ごしたのですか?

「最初は、トップチームで活動できたのですが、5月から6月くらいに、1回Bチームに落ちてしまって。そこから2年の始めには、Bチームのベンチ外にもなりました。上手くいかなくて腐りました。本当にダメでしたね」

ーなかなか順調には行かない高校時代。そこからどう這い上がって行ったのですか?

「這い上がったというか、僕の気持ちとしては、その頃はもともとそういう実力しかなかったのかなと思っていました。当時のことは今考えてもわからないですね」

ー簡単ではない時期を経験しながらも、3年生では高校サッカー選手権で躍動しました。そして高校卒業後は J3の福島ユナイテッド FCに入団しました。プロとして歩み出した福島での2年間はいかがでしたか?

「1年目は今のマイナビ仙台レディースの松さん(松田岳夫)が監督で、本当に頑張って僕を使ってくれたと思います。2年目も時崎さん(悠、現栃木SC監督)は、調子が良くない時でも根気強く使ってくれました。試合に出れば出るほど成長もできると思っていました。福島では実際に成長できたと思ってるので本当にそこはありがたかったです」

ープロ1年目に指導を受けた松田岳夫監督。松田監督はマイナビ仙台の選手たちを鍛え上げていますが、みんな最初は考えることが多く「頭が疲れる」という話をしています。

「練習内容も細かくて本当に難しいですよね」

ートレーニングによって、何色もビブスを使って選手のグループ分けをしたり……。

「コーンもかなり色分けして置かれていたり(笑)」

ー松田監督に鍛えられたことで磨かれたものも多かったのではないですか?

「そうですね。松田さんのサッカーは難しいと思いますけど、それがチームに浸透してたら、いいサッカーができると思います」

ベガルタ仙台 鎌田大夢選手

必ず活躍するという大きな覚悟を持って仙台へ

 

ー福島での2年を経て、今年2月、電撃的に仙台への移籍を発表しました。福島サポーターの反応を見ていると、 鎌田選手は大切にされ、愛されていた選手なんだなと感じました。「仙台で頑張れ」「世界に羽ばたけ」という温かい反応も多かったですね。

「それには、本当に僕もびっくりしていました。福島の人たちは、温かく優しい人ばかりでした。試合で連敗した時、『下を向かないで頑張れ』とか、前向きな言葉をたくさんかけてもらって、いい人たちばっかりだなぁとずっと思ってました」

ー福島時代から応援をしてくれていた「株式会社ダイオー」が仙台のスポンサーにもついてくれました。クラブの枠を超えて、鎌田選手を応援し続けてくれる存在ですね。

「本当にありがたいことですね。ダイオーさんは、お菓子の販売だけでなく、レストランもやっていて、朝食を出してくれていました。お昼もお弁当を持ってきて下さったり、自分も買いに行ったこともありました。本当にありがたい存在です」

ープロになってからの鎌田選手の体はダイオーさんが作ってくれたんですね。

「はい(笑)」

ベガルタ仙台 鎌田大夢選手

福島銘菓のいもくり佐太郎。鎌田選手を応援する(株)ダイオーは、秋田戦でユアスタにも出店した

 

ー仙台に加入する時も、海外挑戦への夢を語ってくれました。きっとこれから大きな世界へと飛び出していくのだろうなと期待しています。

「海外に行きたいなということは、小さい頃から思ってました。小学校、中学校くらいには考えていました。当時は、できれば高校を卒業してJ1クラブに行って、22、23歳で海外へ行くというのが一番の理想でした。でもそうはいかなかった」

ー最初に思い描いた理想通りに行かない中で、次はどうしようと考えたのですか?

「今一番の理想は、今年仙台がJ1に復帰して、次の年にJ1で活躍して海外へ、というのが一番近道かなと思うので、そこに向かって頑張っているところです」

ーJ1昇格は鎌田選手に懸かっているのかもしれませんよ?

「そんなことないですよ(笑)」

ベガルタ仙台 鎌田大夢選手

その右足でJ1昇格を手繰り寄せる(提供:ベガルタ仙台)

 

ーJ1のベガルタ仙台からは、過去にシュミット・ダニエル選手や板倉滉選手、西村拓真選手が、試合経験を積んで活躍し海外へ飛び出していきました。鎌田選手もそういう存在になれるのではないですか?

「なりたいですね。でも、まだ全然フィジカルが足りないので、そこはもっと意識して鍛えていかなければいけないと思います」

ー鎌田選手が今年仙台で成し遂げたいことや抱負を聞かせて下さい。

「この一年間は試合に関わり続けて、スタメンも奪いたい。自分の武器であるドリブルやスルーパスで、ピッチ上での違いや変化を生みながら、得点を決めて、1位か2位でJ1(自動)昇格を決めたいと思います」(完)