
元Jリーガー、解説者・田村直也×中継リポーター村林いづみ【前編】
Interview
FOOTBALL
(提供:ベガルタ仙台)
今季東京ヴェルディからベガルタ仙台に加入したDF若狭大志選手。CBもSBもでき、攻撃に組み立ても得意とする万能型DFです。「絶対にゴールを割らせない」と、ゴール前で体を張る姿が印象的ですが、そのチャームポイントは「笑顔」。コミュニケーションを得意とする彼は仙台にどんな好影響を与えているのでしょうか?(前後編)
ー仙台での生活は約2カ月というところですが、もうすっかり慣れましたよね?
「はい、毎日とても楽しくやれています」
ー練習場では、常に誰かとコミュニケーションをとっている若狭選手の姿があります。チームの中での立ち位置はどんな感じですか。
「もともと知っていた選手は福森(直也)だけだったんです。でもキャンプも長かったですし、そこでいろんな選手と話をしました。僕は今年32歳なんですけど、バンバンいじられますし(笑)良い立ち位置にいると思います」
ー若狭選手はいじられるタイプなんですね?
「いじられますよ。上からも下からも。ありがたいです(笑)」
若狭選手の周りには常に笑いが起こる。チームメートとも良い関係
ー同い年の選手は仙台にいますか?
「いないんですよ。同学年と考えると、早生まれですけど、レアンドロ(デサバト)かな。それ以外は同い年の選手はいないんです」
ー若狭選手はどんな環境でもすぐに馴染める、そんなイメージがあります。これまでも移籍を経験していますが、新しいチームの中に馴染んでいくコツと言うか、テクニックのようなものはあるでしょうか?
「いやいや、何も考えてないです。普通にみんなと接しています。素でいるだけですね、僕は」
ー持ち前の性格や人懐っこさみたいなものですか?
「どうなんでしょうね。多分ですけど、学生時代に(焼き肉店の)牛角でアルバイトしていた時期がありました。そこでいろいろな人と話をして、その経験が生きているのかと思いますけどね」
ーこれまでも数々のインタビューなどで、牛角アルバイトの話は出ていましたが、改めて聞いてもいいですか?
「はい。アルバイトをしていた期間は高校3年生の最後くらいから大学4年生までです。がっつり働いていました。大学に入って、3、4年生の学費を自分で払うと親と約束していたんです。その分の授業料を貯めようとアルバイトを始めました。牛角は実家の近くにあったんです。食事に出かけても『何だか楽しそうだなぁ』と思っていました。働いている人たちの年代もみんな近かったし、知り合いも多かったのでとても楽しかったんです」
ー働いていた場所はキッチンですか?それとも接客をするホール係?
「キッチンもやってみたんですけど、俺は向いていなくて(笑)ひたすらホールでした。お客様に合わせて、こちらも柔軟に対応しテンションを合わせていく。そういうことが得意でした。時々、お怒りのお客様もいらっしゃったりしたので……。本当にいろんなお客様がいましたよ」
ーそのお怒りのお客様にも対応していたんですか?
「もちろん。そういう時はめちゃめちゃ低姿勢です(笑)お客様に目線やテンションを合わせて『そうですよね、そうですよね。申し訳ありませんでした……』というような感じで。お怒りの相手に、こっちも強くいってしまうと絶対にいけないので」
ークレーム対応も出来てしまうサッカー選手なのですね。
「もう、それは得意でした(笑)」
ーアルバイトをしていたのは、主に東洋大学に通っていた頃。当時すでにサッカー部でも活躍していましたよね。アルバイトと両立していたんですか?
「そうです。1年生の頃は自主練なんて一回もしたことがないんですよ。練習が終わったらすぐに着替えて、すぐにバイトに行っていました。夜中の1時くらいまで働いて、帰ってすぐ寝て、また授業に行って、練習というサイクルです。大学の公式戦の日も、試合が終わったらすぐにバイトに行きました」
ー忙しいスケジュール、なかなか大変でしたよね?
「いや、ところが楽しかったんです」
いつも笑顔の若狭選手。仙台での毎日も楽しんでいる
ーその心も持ち様もすごいですね。若狭選手は、ポジティブで、常に笑顔のイメージがあります。
「いやそれ違うんですよ。たれ目だからそう見えるだけです(笑)結構、このたれ目で嫌な思い出もあるんです。高校時代、監督に怒られている時、『すみません』と謝っているのに『何でお前笑っているんだ』とさらに怒られました。そこで『こういう目なんだけどなー』とは言えないですよね。そういう苦労も、実はあるんです(笑)」
ー笑顔の陰に……。
「はい。でも実際に、笑うことも多いですね。毎日ずっと笑っています」
ープロサッカー選手になって、大分、千葉、東京、そして仙台が4チーム目となりました。今、仙台ではどのようなことを感じながらプレーをしているのでしょうか?
「長く J1にいたクラブなので、みんな能力が高いし、上手いです。サッカーのプレー強度といった部分では高いなと思っています。特に後ろからの攻撃の組み立て、ビルドアップの部分ではチームに貢献していきたい。チームのリズムでボールを握るサッカーをやりたいと原さん(原崎政人監督)がおっしゃっています。そういうところは僕も得意としている部分なので、しっかりと貢献していきたいと思っています」
足元の技術が高い若狭選手は、後方から効果的に攻撃を組み立てる(提供:ベガルタ仙台)
ービルドアップ時の足元の上手さなどは元々持っていたものなのですか? それともいずれかの時期に磨かれたものなのでしょうか?
「自分でもよくわからないのですが、大学時代だと思います。中学校時代は11人揃うかどうかという部活でやっていましたし、高校時代まではポゼッションという言葉も知らなかったです。ボールを持ったらすぐ前にドカーンと蹴って走ってみたいな感じだったので……。大学に進むと、ユース出身者や強豪校の出身者も集まっていたので、そこでサッカーをより学ぶことができたという感じです」
ー若狭選手ご自身はその大学時代に見出されて、プロへの道が開かれたんですよね。
「そうですね。大学でプレーして、選抜にも選ばれて自信を持つことができました。でもプロになり、大分に入ってから壁にぶつかりました。自信をなくしていた時期があったんです。ボールを持った時に自分本来のプレーが出来なかったり、くさびのパスが思うように出せない。そういう時期が長く続きました。チームの戦術にも、僕がうまく合わせられなかったということがありました。今32歳ですけど、自信を取り戻すことができてきたのは、本当にここ何年かといったところです」
ーそういった壁にぶつかりながらも一年一年をしっかりと積み重ねてきました。 そして、いろいろなチームでも止められてきたからこそ、今年プロとして11年目を迎えますね。
「そうですね。僕のキャリアの中では、東京ヴェルディでプレーをしたということがすごく大きかったです。当時監督だった永井(秀樹)さん(現・ヴィッセル神戸スポーツダイレクター)という指導者に巡り会えたことが自分の中ではとても大きかったです」
自信をつかんだ東京ヴェルディ時代。サッカーの楽しさを学んだ(提供:共同通信)
ー一番どういったところを伸ばすことができ、得ることができた時期だったのでしょうか?
「やっぱり永井さんのサッカーは立ち位置が細かったので、そういうところですかね。ここに味方がいるから、ストレスなくパスが出せたり。そういうことを積み重ねて自信になっていきました。やっているサッカーも、とても魅力的で面白かったです」
ーヴェルディ時代は、仙台のOBで現在はサッカー解説者の田村直也さんとも一緒にプレーしましたね。 試合中継の解説では、若狭選手の良いところをたくさん教えてくれます。
「タムさんとはヴェルディで2年間一緒にプレーしましたが、DFラインでよくコミュニケーションをとっていました。ヴェルディにいる時から僕のことをよく褒めてくれていました。すごくよく話をしましたね。二人とも、同じ風に目が細いし(笑)」(続く)
フリーアナウンサー、スポーツキャスター。2004年からラジオでベガルタ仙台のトーク番組を担当し、2007年よりスカパー!や DAZNで中継リポーターを務める。ベガルタ仙台レディースは2012年のチーム発足時より取材を開始。ヒーローインタビューと勝利の祝杯を何より楽しみにしている。