
最後にみんなで笑えるように。浜田遥はWEリーグ優勝と初代得点女王を目指す【前編】
Interview
FOOTBALL
いつもにこやかなマイナビ仙台レディースの万屋美穂選手ですが、試合の時の引き締まった表情も魅力的です。どんな時も謙虚さを忘れない姿勢。そのルーツは高校時代にさかのぼります。大怪我に見舞われながら、幾度も乗り越えて手に入れた強さ。周りへの感謝の気持ち。そして、万屋選手の思い描く未来についてお話を聞きました。
ー ベガルタ仙台レディース、マイナビベガルタ仙台レディース、そしてマイナビ仙台レディースとチームの変遷の中で、万屋選手は在籍歴も長い方になりました。
「2015年に18歳で仙台に来て、今年で8年目に突入しました。在籍歴の長い順に言うと(齋藤)彩佳さん、ハカさん(浜田遥選手)、そして自分。もう上から3番目ですね」
ー同時に入団した選手は誰でしたか?
「もうみんな、いなくなっちゃったんです。(有町)紗央里さん(マイナビ仙台レディースユースコーチ)、中野真奈美さん(スペランツァ大阪)、ブラジル人のジョバーニャ、西川明花さん(ちふれASエルフェン埼玉)、武仲麗衣さん(INAC神戸レオネッサ)です」
ー万屋選手は2015年に入団したルーキー。その年はしばらくリハビリを行っていましたよね?
「はい。2015年と16年はほとんど怪我でリハビリでしたね」
ーしかし、怪我が癒えた2017年になでしこリーグデビューをして、その後はずっと試合に出続けていますね。
「そうなんです。2017年は越後和男監督が指揮を執りました。初めてシーズンの頭からキャンプにも参加できて、そこからはずっと試合に出ることができています。ここまでのシーズンは、ほとんど出ていると思います」
幾たびも膝の大怪我をたくましく乗り越えた。今、この足で唯一無二のプレーを見せる
ー高校時代の左膝前十字靱帯断裂という大怪我も含め、怪我との熾烈な戦いを乗り越えてきましたね。
「初めて大きい怪我をしたのが高校時代。そこから膝の怪我を繰り返して、2年半くらいほとんどサッカーが出来ない時期がありました。その頃は本当にしんどかったですけど、若かったですし、本当にサッカーをやりたいという気持ちがありました。怪我をした状態でも、私を選手として迎えてくれたのが仙台の方々だったので、必ず復帰して試合に出たいという気持ちもありました」
―その期待に応える活躍ぶりです。今や、左サイドに万屋選手がいないということは考えられませんよね。
「試合に出続けることができているのはとても嬉しいですが、謙虚ではありたい。でも自信をもってやるときはやるという思いを心のどこかに置いています。試合に出ているから偉いということもないですし、そこは傲慢な気持ちにはならず、危機感も抱いています。今試合に出ているからずっと出られるだろうとは思っていないです。みんなチームメートですが、ライバルでもあるので、そういう環境の中で練習に取り組んでいると思います」
ー「謙虚に」という言葉を大切にしていますね。
「それは高校の時からの言葉です。『謙虚な姿勢を持ちなさい、でも試合の時は絶対的な自信を持って挑みなさい。そして感謝の気持ちを忘れないようにしなさい』ということは、高校の時に教わって、今でも心の片隅に残っています」
ー若いうちにあれだけ大きな怪我をしたからこそ、強く、そして謙虚な姿勢を持てるようになったのでしょうか?
「そういうところはすごくあると思います。考えさせられることもたくさんありましたね。怪我をする前の高校1年生の時から試合にたくさん出させてもらっていました。でも大きな怪我をしたから、ものの見方も変わりましたね。高校生の時の練習では AチームBチームとはっきり分かれていました。Aの選手がどれだけありがたくサッカーが出来ていたか。 Bの選手がどれだけ我慢してAの選手のためにやっていたのかとか。そういうことを高校時代に感じさせてもらったことは、私の中でとても大きな収穫だったなと思っています」
怪我の経験から多くを学んだ。しなやかな心と体がプロで活躍する原動力に
ー日ノ本学園高等学校で過ごした青春時代。怪我で苦しみながらも、その時の仲間とマイナビ仙台でもプロでプレーしています。
「こんなに同じチームに日ノ本の選手が集まるということもないですよね。呼び合った訳でもないのに同級生が多い。ありがたいことです」
ーチームメートとの関係性は大人になって変わったりしています?それとも、高校時代のままですか?
「変わらないと思います。(國武)愛美とはクラスが違っていたのですが、(池尻)茉由とは3年間同じクラスでした。寮も一緒だし、サッカーでも一緒でしたね」
全てのものを受け止める芯の強さと優しさがある
―様々な監督、チームメートとの関わりの中で大切にしてきたことはどういうことでしたか?
「私の在籍した8年間、監督やスタッフも変わっていった中で、求められるものや、チームの中での人の関係性も変わっていきます。監督の思いもあると思うので、それをまずは汲み取ることを意識してきました。私に対して、チームに対してどういうものを求めているのかと……。いろいろな葛藤はありましたけど、私は言われたものに順応できるように、求められたことに対応してきました。そういうことはやってきたつもりです。うまくいかないこともありますし、でもできるだけ聞き入れながら、でも自分の持っているものはしっかりと出していきたい。そのバランスを上手くとるように心がけていました」
―チームの中での役割の変化はありましたか?
「今はどちらかと言うと年下の選手たちも増えてきたので、その分チームでも上の選手になったんだなと実感させられます。本当にサッカー選手って年齢は関係ないんだなーって思っています。年下の選手達から学ぶ事もたくさんあるんです。サッカーは長くやっているから偉いとか上手いということもないです。もともと持っているその人のセンスや努力というところも大きいと思います。今のマイナビでは本当に上手い選手たちが多いんです。だから危機感もあります。でも、盗めるものは盗むし、頼りにできるところは頼りにしています。心強いですよ」
ー強い芯を持ちながら、いろんなものを受け止められる柔軟性という万屋選手の魅力を感じます。
「それは意識していると思います。負けたくないというプライドは持っています。でも折れていいところは、折れていいと思うんです。そういう柔軟性というのは自分の中で持っていようと思っています。人の意見を聞く時は、まずは否定から入らない、というか。基本的には受け入れるところから入って、そこからもし違うと思ったら話し合えばいい。その時はその時で考えればいいと思っています」
まんちゃんスマイルは、周りを軽く照らす太陽
ー現在とても充実している25歳。今後のビジョンはどう思い描いていますか?
「どうだろうなあ……。一つ考えているのは、サッカーを辞める時には『怪我が理由で辞めたくない』ということです。それは大きい怪我を経験しているからこそです。実際にサッカーをやめるという決断をする時にしかわからないとは思うのですが、自分がやりきったとか、求められなくなったとか何かきっかけがあったら辞めるという決断になると思います。(チーム最年長の北原)佳奈さんはすごいと思うんです。佳奈さんのように30歳を超えて元気でプレーしている選手も多いです」
―北原選手は万屋選手にとってもチームみんなにとっても、頼もしい存在ですよね。年齢を重ねたからこそできるプレーや伝えられることもありますね。
「私はそこまで出来るかなということはずっと考えています。今は、子供を産んで競技を続ける方も今はいます。でも私は何となく、そうはならない気がするので、そうなったら違うこと、次のステージを考えるかもしれません。なんて、そんなことを言いながらいつまでもサッカーを続けているかもしれませんが(笑)それでも選手生命はそんなに長いとは思っていません。だから一年一年がとても大切だと思います。今シーズンもそうですが、怪我なく練習ができてコンスタントに試合に出られる選手であり続けたいなと思っています」
ーまだまだ最前線で、万屋選手らしく活躍し続けて欲しいです。WEリーグでのファーストシーズン、最終戦までどのように戦っていきたいですか?
「まずは残りのシーズン、全ての試合に絡みたい。そのために自分をアピールし続けていい状態のプレーを維持すること。そして怪我をしないようにしたいです。チームとしては全勝を目指してやっていきたいです」(完)
Photo by 土田有里子
フリーアナウンサー、スポーツキャスター。2004年からラジオでベガルタ仙台のトーク番組を担当し、2007年よりスカパー!や DAZNで中継リポーターを務める。ベガルタ仙台レディースは2012年のチーム発足時より取材を開始。ヒーローインタビューと勝利の祝杯を何より楽しみにしている。