仙台スポーツ
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Interview

FOOTBALL

チーム全員がシーズン終了後に幸せになるために――。33歳の若き新指揮官・中村雅昭が、女川町をサッカーで熱くする【前編】

現在、東北社会人リーグ1部を戦うコバルトーレ女川。5年ぶりのJFL復帰、そして将来のJリーグ入りを目指す中、今季より新たにチームを指揮するのが中村雅昭監督です。前編では、中村監督の経歴を辿りながら、指導者を志すようになったきっかけ、サッカーに懸ける情熱をお聞きしました。

 

―女川に来て1カ月経ちましたが、街の印象をお聞かせください。

「街並みがとてもきれいだし、自然も豊かです。人も温かいですし、すごくいい街だなと日々感じながら、過ごさせてもらっています。ただ、チームに合流した初日が吹雪だったので、そこはすごい洗礼を受けましたね(笑)」

―今回、コバルトーレ女川では新監督を公募して注目を集めました。中村監督が就任に至った経緯をお教えください。

「僕は前職でヴィッセル神戸のスクールコーチとして働いていました。現在、コバルトーレ女川のアカデミーを指導されている上野敦也コーチが、以前に京都のチームで働かれていたときにお話する機会がありました。それで、コバルトーレが監督を探すとなったときに、上野コーチが僕のことを思い出してくれて(公募をしているという)連絡をくださり、手を挙げさせていただきました」

―最初にお話をもらったときは、迷いなどはありませんでしたか?

「迷いはなかったですね。自分自身がすごく欲していた環境だったので、ほぼ即決に近い形でした。指導者としてのキャリアを積みたい、チャレンジをしたいという気持ちが強かったです」

コバルトーレ女川 中村雅昭監督

―中村監督のこれまでの経歴を伺いたいのですが、まずサッカーに携わったのはいつ頃ですか?

「小学1年生のときに週1回のサッカースクールに通い出したのが、サッカーに触れるようになったきっかけです。それから小学3年生のときに地元のチームに入って、本格的にサッカーを始めました。でも、選手としてはそんなにうまいほうじゃなかったので、中学、高校ではなんとかレギュラーでしたが、大学では3軍、4軍でプレーするような選手でした。それで、大学を卒業してからは指導者になり、アルビレックス新潟シンガポール、アンジュヴィオレ広島、広島八幡FC、そしてヴィッセル神戸といったさまざまなクラブに携わらせていただきました」

―指導者を志すようになったのは、いつ頃ですか?

「大学を卒業するぐらいですかね。大学3、4年生のときは、普通に就職活動をしていて、内定をもらっていたんです。ただ、4年生のときにバックパッカーのような形でヨーロッパを旅したのですが、そのときにヨーロッパ中のサッカーを見て回って、サッカーの魅力というものに改めて気付かされました。自分自身がサッカーの指導者になって、いろいろな国を回ってみたい、そんな思いが湧き始めて、指導者を目指そうという思いにつながっていきました」

―ちなみに、どのような国を回られたのですか?

「ヨーロッパの20カ国ぐらいを訪れたので、大きなリーグも小さなリーグも全部見て回りました。その中で、印象に残っているのはやはり、スペインのバルセロナの試合ですかね。当時はメッシがいて、とてもチームが強かったときでした。あとはウェンブリー・スタジアム(※)でも試合を観たのですが、僕が昔から好きなサンフレッチェ広島に当時在籍していたイリアン・ストヤノフという選手が、ブルガリア代表としてイングランド代表と戦った試合でした。ストヤノフ選手がサンフレッチェ広島を代表してウェンブリーで戦っている姿を生で観られたのは、印象深かったですね」

※ウェンブリー・スタジアム…イギリス・ロンドン郊外のウェンブリーにある約9万人収容のサッカー専用スタジアム。「サッカーの聖地」として知られる。

―それからどのようにして指導者の道を歩まれたのでしょうか?

「夏休み期間中にバルセロナなどの海外クラブが日本の各地で子どもたちを対象にサマーキャンプを開くのですが、大学卒業後はそれらを運営する会社でアルバイトとして働かせていただきました。その会社の社長さんが、アルビレックス新潟シンガポールの社長さんとつながっていて、紹介していただきチームに携わることになりました。アルビレックス新潟シンガポールでは最初にスクールコーチとジュニアユースの指導を担当しましたが、プレーをどのように言語化して教えたらいいか、とても戸惑いました。また、基本的に教えるのは日本人がメインでしたが、たまにCSR活動として地元の子どもたちを巡回指導することもあったので、日本語でも言語化がなかなか難しかったものを、さらに英語にしないといけないのは、すごく大変な作業でしたね」

―また、育成年代のみならず、アンジュヴィオレ広島では女子チームの指導も経験されました。視野も広がったのではないでしょうか?

「それはもちろんあります。まず、女子の指導に興味を持った理由として、先ほど言ったようにいろいろな国をサッカー指導者として回りたいという夢がある中で、どこで何を求められても応えられる指導者になりたいという気持ちがありました。その中で、アルビレックス新潟シンガポールにいたときの監督も、以前に女子チームの指導をされていて、女子の指導を経験することは人間としても幅が広がると教えられて、チャレンジさせてもらいました。男社会をずっと生きてきたので、もちろん女子と感覚が違うところはありましたが、その一方で、ひたむきに頑張る、サッカーを楽しむといった根本の部分は変わりませんでした。いろいろな発見ができて、指導の幅も広がったと思っています」

コバルトーレ女川 中村雅昭監督

―その中で、今季から指揮するコバルトーレ女川では、これまでの指導経験のどんな部分を生かしていきたいですか?

「まずは、先ほど男子でも女子でも根本の部分は変わらないという話をしましたが、サッカーが好き、サッカーがうまくなりたいという気持ちは、おそらくどの年代、どのカテゴリーも変わらないと思います。なので、複雑なチーム戦術に固執することなく、『こうしたらもっとうまくなる』『こうしたらもっといいチームになる』といった純粋な気持ちを忘れずに選手たちを指導できるのは、僕の強みかなと思います。あとは、これまでいろいろな指導者、監督の下で仕事をさせてもらいましたが、みなさん素晴らしい人ばかりで、学ぶべきことがたくさんありました。そういうところを僕の中に少しずつ落とし込みながら、体現化していこうと思っています」

―コバルトーレ女川はJFL昇格、将来のJリーグ入りを目指すクラブとあって、周りからの見られ方、注目度もこれまでとは変わってくるかと思います。

「コバルトーレが地域の方々に応援されているクラブだというのは、ここに来て改めて実感しています。つい最近も大きな地震がありましたが、震災で大きな被害を受けた歴史も含めて、存在意義のあるクラブだと思っているので、責任感を強く感じながら、毎日を過ごしています。その中で僕ができることは、真摯に一歩ずつ、今まで培ってきたものを表現しながら、選手、スタッフを含めて、みんなが一丸となって戦っていくことだと思っています。先日のミーティングでも選手たちに伝えましたが、一発目のマインドセットのところで『チーム全員がシーズン終了後に幸せになっている』という言葉を掲げさせてもらいました。チーム全員というのは、選手はもちろん、スタッフ、サポーター、スポンサー、地域の方々であり、そのみんなが幸せになっていることが目標です。そのためにも先ほど言ったような、真摯に一歩ずつ戦っていくことが、一番大事なのかなと思っています」

コバルトーレ女川 中村雅昭監督

 

▼プロフィール
中村雅昭(なかむら・まさあき)◎1988年11月19日、広島県廿日市市出身。岡山・吉備国際大学卒業後、2012年からアルビレックス新潟シンガポールでスクールコーチ・ジュニアユース監督を務め、15年は同トップチームにスタッフとして帯同。16、17年はアンジュヴィオレ広島、18年は広島八幡FCジュニアユースで指導を務め、19~21年はヴィッセル神戸サッカースクールでコーチを務めた。

 

Photo by 渡邊優

郷内 和軌
郷内 和軌

1992年10月14日生まれ、岩手県一関市出身。一関第一高校卒業後、仙台大学体育学部スポーツ情報マスメディア学科に進学。アルバイト等で執筆経験を積み、2015年4月より岩手県盛岡市の制作会社「(株)ライト・ア・ライト」に入社。地域限定スポーツ誌「Standard」の制作等に携わり、2019年4月よりフリーランスとして活動中。