
Jの舞台でも輝くスピードを武器に。真瀬拓海は自分らしく『25番』を背負う【前編】
Interview
FOOTBALL
(提供:ベガルタ仙台)
2022シーズンのJリーグがいよいよ開幕します。試合の行方に胸を高鳴らせ、結果に一喜一憂する「サッカーのある週末」が帰ってきます。J2からもう一度J1の舞台へ這い上がっていくベガルタ仙台。今季迎えた期待の新人、MF大曽根広汰選手にお話を伺いました。同期入団の選手はいない大曽根選手ですが、巧みなコミュニケーションですっかりチームになじんでいるようです。ここから未来を切り開くルーキーの「今」に迫ります。(全2回)
―いよいよJリーグでプロサッカー選手としてのシーズンが始まります。沖縄、延岡、宮崎と1ヶ月を超える、長期のキャンプはいかがでしたか?
「仙台に住み始める前に(一次キャンプ地の)沖縄に入って、ホテルでのキャンプ生活が始まりました。最初は大変かなと思ったのですが、先輩たちも話しやすい方ばかりで、仲良くして頂いて、苦しいことは何もなく順調にキャンプを進められました」
―キャンプ中に仲良くなった選手はいましたか?
「ほとんどの選手と仲良く話してもらいました。蜂須賀(孝治)さんや真瀬(拓海)君とはポケモンの話をしました。オフの日にはみんなでパターゴルフをしたり、遠藤選手とは朝早く、近くの川に行って日光浴に行ったりしました。結構いろんな人と仲良くなりました」
―キャンプの序盤に、ポケモンのゲームを一緒にやろうと蜂須賀選手に勧められていたようですね。
「はい、僕も始めました。ホテルにゲーム機を届けてもらって、(けがでキャンプを離脱してしまった)蜂須賀さんには『ちゃんと届きましたよ』と報告をしました(笑)」
梁選手や遠藤選手など、経験豊かな選手たちから大きな刺激を受ける。(大曽根選手は後列右から一番目)(提供:ベガルタ仙台)
―いろんな選手とすぐに仲良くなれるというのは良いことですね。長いキャンプで一緒にトレーニングをする中で、刺激を受けた選手はいましたか?
「梁(勇基)選手は一つ一つの練習を丁寧に、こだわってやっているなと思います。今年キャプテンとして、自分も含めてですが周りのいろんな選手とコミュニケーションを取っていました。常に周りに気を配っている。その姿が、人としても、一人の選手としてもすごく勉強になる。最年長でキャプテンの選手がここまでやっているのだから、自分もやらなければいけない。梁選手を見て、そう思いました」
―梁選手はJリーグで長く活躍していますが、大曽根選手にとっては子供の頃から見ている選手の一人でもありますか?
「はい、もちろん。『テレビの中の人』と言ったらなんですが、本当にずっとテレビでプレーしている姿を見ていました。誰もが知っている選手だと思います。そういう選手と一緒にサッカーをしているということに不思議な感覚もあります」
―最年長40歳の梁選手と大卒新人の大曽根選手は年齢差もかなりあります。そういう選手と仲良くなるための秘訣のようなものはありますか?
「キャンプの最初の内に、ご飯などの時間に隣の席に行ってみて話したりしました。サッカーの話や私生活の話もしました。そうしてコミュニケーションを取ってもらっていました」
―コミュニケーション能力が高そうですね。
「そうでもないと思いますけどね(笑)人見知りではないですが、うるさい方でもないです。コミュニケーションはとりたいと思っている方なので、徐々にですけど、このキャンプで慣れてきたかなと思います」
新加入会見で掲げた目標は『得点+アシスト数=10』(提供:ベガルタ仙台)
―大曽根選手のサッカーのルーツについて伺います。サッカーを始めたのは何歳の時でしたか?
「サッカーを始めたのは小学校1年生の時でした。きっかけは、父の影響です。父がずっとサッカーをやっていたので、僕も始めました」
―川崎フロンターレの下部組織で育ちました。フロンターレのアカデミーに入ったのはU-13からですね。
「はい、中学1年生でした。それまで他のJリーグの下部組織のセレクションも受けていたのですが、ほとんど落ちていました。最後に受けたのがフロンターレだったんです。そこで4次セレクションまで通って決まったという感じです」
―フロンターレのU-13も狭き門だったと思いますが、しっかりチャンスをつかみました。思い返してみて、当時はどういうところを評価されたと思いますか?
「クラブからは、伸びしろがあるというところ。後はプレーの積極性だと言ってもらいました」
―フロンターレではU-15、U-18とステップアップしていきました。厳しい競争もある中、どのようなことを考えてプレーしていたのでしょうか?
「そうですね。僕は身長が低くて、フィジカルのレベルも高い訳ではなかった。だからこそ、とにかく人より動いて、走って、ゴールに向かうというところは、当時一つの武器だったかなと思います」
―フロンターレというと、トップから下部組織に至るまで、一つの哲学、フィロソフィーのようなものが一貫しているクラブだと思います。そこで特に磨かれたものは?
「トップのやっているサッカーをユースでもやろうと、自分たちの所属している時も言っていました。今もそうだと思います。ボールをコントロールする技術や、止める部分、蹴る部分。本当に基礎的なことかもしれないですが、トップから下部組織まで、みんなやっていることなので、磨かれたことかなと思います」
―アカデミー時代の思い出を上げるとすれば、まず何が浮かびますか?
「難しいな……。自分が高校3年生の時に、夏の全国大会のクラブユース選手権でベスト4まで行って勝てなかったこと。それと、高校3年間、ずっとプリンスリーグで3位という成績でした。2位以上が(プレミアリーグとの)入れ替え戦に行けるんですが、3年間いけなかった。勝って嬉しいことももちろんあったのですが、高校3年間の成績に関して言えば、悔しいことの方が多かったですね」
―その2位と3位の間にある壁は厚かったですか?
「そうですね。振り返ってみれば全部3位だったんですけど、『勝ち点1差』とか、勝ち点で並んでいても得失点差で負けたり……。細かいところや少しの差なんですけど、乗り越えられなかったですね」
自分の武器を徹底的に磨き、プロへの道を切り開いてきた(提供:ベガルタ仙台)
―当時の仲間とは今はどんな関係ですか?
「大卒でプロになった仲間が4人いるので、またJリーグのピッチで会えるかなと楽しみにしています」
※1999年世代の川崎フロンターレU-18で今年大卒Jリーガーは大曽根選手含め5人。
GK早坂勇希選手(川崎)、DF新井秀明選手(福島)、DF伊従啓太郎選手(讃岐)、MFデユーク カルロス選手(長野)
―クラブのレジェンド、中村憲剛さんは憧れの存在ですね。
「もちろんです。あんなに長くチームの顔になれる選手はそうそういないです。そういう存在になりたいと思います」(続く)
フリーアナウンサー、スポーツキャスター。2004年からラジオでベガルタ仙台のトーク番組を担当し、2007年よりスカパー!や DAZNで中継リポーターを務める。ベガルタ仙台レディースは2012年のチーム発足時より取材を開始。ヒーローインタビューと勝利の祝杯を何より楽しみにしている。