
新たな仕事は『まちをクリエイト』すること。元サッカー選手・田村直也が描くキャリアと仙台の未来【前編】
Interview
FOOTBALL
2021年のJリーグが幕を下ろしました。サッカーファミリーが知恵を出し合い、力を合わせて長引く新型コロナウイルスの影響と戦い、少しずつサッカーのある日常の喜びを取り戻していったシーズンでした。我らがベガルタ仙台にとっては、苦しい一年間でもありました。現在は解体・建築業の株式会社エルエスシー(仙台市)に勤務し、サッカー解説者としても活躍するベガルタ仙台OBの田村直也さんとJリーグ中継リポーター、仙台スポーツでライターを務める村林いづみでこの一年間を振り返りました。(前後編)
村林:今日は2021年のベガルタ仙台について振り返っていきます。田村さん、よろしくお願いします。ベガルタ仙台はJ1で19位、J2降格が決まってしまいました。
田村:そうですね。今年もそうでしたけど、ベガルタ仙台は去年(2020年)から苦しんでいました。予算や、薄い選手層などの難しさをうまくカバーしてきたのがその前の数年間(2019年以前)だったと思います。今回はクラブの予算規模通りの結果になってしまったなという印象です。
村林:以前は予算規模などの差を、監督の戦術や起用法、いろいろな技を駆使してどうにかしていたと言えるかもしれません。
田村:料理で例えると、選手は「具材」なんです。それを調理するのは監督。素材を生かすも殺すも監督次第だと僕は思っています。渡邉(晋・2014~2019年)監督が、丁寧に味付けし、仕上げていました。更にさかのぼると、手倉森(誠・前)監督の第一期(2008~2013年)。J1昇格を決めた時は、選手の素材の良さを、新鮮なまま出せていたという印象です。今年は相手のレベルも高かったので、計算違いもあったかなと思います。
村林:相手のレベルという話だと、近年同じJ1の中でもチーム間の格差や力の差というのが徐々に広がってきた感じはありますね。それが今年は際立った。新型コロナウイルスの影響もかなりあったと思うのですが。
田村:そうですね。集客もできないし声も出せない状況で、仙台はスタジアムやサポーターの力を含めて「ワンチーム」だなと改めて思いました。勝つ時に発揮されるのは選手だけの力ではなかったと思い知らされました。
田村:J1のトップクラスや中位に入るチームには、「良い選手」だけではなく「強い、すごい選手」が4~5人はいるんです。仙台には「良い選手」がいると思います。個々の能力も高いのが「良い選手」。でも「すごい選手」というのは、更に試合を決定づけられる力があります。得点を取ることもそうだし、失点を防ぐこともそう。川崎フロンターレや横浜F・マリノス、名古屋グランパス、ヴィッセル神戸や鹿島アントラーズなどにはそういう選手がいる。そこに差があったのかなと思います。
村林:「すごい選手」って、どんな状況でも一人でどんなことでもやってしまうんですよね。
田村:そうですね。実はそういう「すごい選手」の陰で、目立たない選手も実はすごかったりします。横浜F・マリノスで言えばダブルボランチの喜田拓也選手と渡辺皓太選手。一見地味ですけど、彼らがセカンドボールを何度も回収してくれるから、他の選手が思い切って攻撃に出られる。「良い選手」と「すごい選手」の違いは、自分がプレーヤーとしてやっていても感じましたね。
仙台-札幌 前半、指示を出す仙台・手倉森監督=ユアスタ(提供:KYODO NEWS)
村林:2021年は手倉森監督復帰の年。数字で見てみると、J1で5勝13分20敗の勝ち点28。残留ラインには勝ち点が9足りず、19位でJ2降格が決まりました。
田村:正直、10勝は欲しかったですね。できる可能性もありました。夏場、それ以降にも決定的なシーンを決めていれば勝てるという試合を落としました。試合中継で解説としてそういう試合をお届けした時に、歯がゆさも感じました。とはいえ負けが20試合ということは勝ち点60を相手に与えている。やっぱり守備の整理が必要だったと思います。
村林:果たして他のチームとどのくらい大きな差があったのかを考えます。仙台と残留を争ったチームとは、特に。例えば残留を決めた湘南ベルマーレなどと、大きな違いがあったのかというと、そこまではなかったのではないかと感じるんですよ。
田村:ないと思いますよ。ひとつ言うならば、戦術という要素、選手の力を引き出すという……、ドラゴンボールで言えば「海王様」みたいな存在。潜在能力を引き出していくというところが、監督、スタッフ、クラブの役割だったりするんです。もしかしたらそういうところで違いがあったのかもしれません。湘南は、圧倒的にアグレッシブなスタイルを貫きながら、今いる選手の特徴を出すために、4バックや3バックでワイドの選手を置くということをしていたと思います。仙台は夏場にカウンターサッカーに入ったんですが……、いろいろチャレンジはしていたと思います。3バックにしたり。そこにスペシャルな役回りの選手がいなかったというのが辛かったですね。
村林:序盤は大量失点が続いていて、まずそこを立て直した。守備の整備を進めた中で、攻撃面で考えると、ゴールは多くは生まれなかったですね。
田村:開幕前にキャンプを見に行きました。その時、攻撃に関するトレーニングは結構していたんです。ビルドアップ、またはその抜け道を作って相手がこう来たらこうやって行こう、というのも見えました。今年は期待ができるなと感じていたんです。それを続けていたらどうなっていたかなということは一番知りたいくらいでしたね。結果論ですけど。
村林:そういうことも考えると(イサック・)クエンカ選手の怪我、離脱というのはとても大きな影響があったのかもしれませんね。
田村:そうですね。去年の終盤の戦い、4-0で勝利したアウェーの(第27節)ガンバ大阪戦でのクエンカ選手のパフォーマンスを標準と考えると、それがないこのシーズンは非常に苦しいものになりましたよね。マルティノス選手、シマオマテ選手、オッティ選手もそうかな。彼らが最もいい状態でパフォーマンスを出せれば、中位くらいはいけると思いました。監督としてはクエンカ選手の怪我は本当に苦しかったと思います。
(提供:ベガルタ仙台)
村林:新加入選手の中では加藤千尋選手、アピアタウィア久選手、真瀬拓海選手といったフィールドプレーヤーの新人選手たちの奮闘がありました。
田村:本来であれば1年目の選手を簡単に出させちゃいけないというか……。彼らが春夏、苦しい思いをして後半にチームの力になれるというのが理想です。もちろん3人とも能力が高いですし、良い選手であることは間違いない。でも決定的な仕事ができるかというところでは、経験の差だったりもするんです。
村林:そういうところは、経験がものを言うのですか?
田村:はい、経験の差です。例えば「ここからそこまで正確なパスを出す」という大会があれば、優れた技術を持つ新人選手でも同じ正確なパスを出せると思うんですが、最終的にゴール前で落ち着きを出せるかとか。真瀬選手ならクロスを上げられるか、アピアタウィア選手で言うと、ゴール前に迫る相手に対し、飛び込むのか飛び込まないのかというところの判断。そういうところは経験でしかないです。経験をもっと積んだ上で試合に出られれば、結果も違ったかもしれないし、早期に彼らを出さなければいけないというクラブの状況もありました。競争がなかったですよね。
村林:高いレベルでの競争を制して試合に出てきたとは言い切れなかったですね。
田村:「もっと若手を起用しろ」という声が聞こえてきたりもします。でも、それには彼らが監督に使わせたくなるようなプレーをすること。選手にとってはそれしかないですよ。その選手を使わせる、使いたくなるような能力が必要です。僕はそういうところを一つ得意としていたのですが「監督に必要とされる能力」、これが重要だと思います。僕よりももっとうまい選手はいるけれど、なぜ長く現役を続けられたかというと「監督に必要とされたから」です。
村林:確かにそうでした。第一期の手倉森監督に「田村は俺の精神安定剤」とまで言わせましたからね。監督が代わっても、チームが代わっても必要とされる選手でしたね。
田村:いや、僕はそこまでではないかもしれないですけど(笑)どこに行っても出続けられる選手はいますね。例えば長谷部誠選手などは、監督が代わっても、ポジションが代わっても必要。若い選手たちにはぜひそういう選手になって欲しいです。
(提供:ベガルタ仙台)
村林:コロナ禍で外国籍選手の入国が遅れ、Jリーグバブルを経てようやく合流でき、ご家族はなかなか来日できなかったという事情もありました。難しい状況があった中で彼らの働きはどう見ていましたか?
田村:僕は特にフォギーニョ選手に期待をしていました。加入してから、良いプレーもしていましたし、ボランチの軸にしてあげたかったですね。必死に日本語を覚えようとしたり、アクションで伝えようとする姿勢がありました。そういう気持ちはチームメートに伝播していくんですよね。
村林:確かにそういう姿勢は伝わりました。話を聞いてみると、Jリーグや仙台のサッカーを理解しよう努力する一面も見られましたし、チャームポイントの髭も含めたその表情がとても親しみやすい選手です。獲得した選手たちはそれぞれに個性があり、高い技術も備えていた。完全に生かし切れていたかというと……どうでしょうね。
田村:うーん。監督にとっても「自分の色」を出すためには「自分の選手」って必要なんですよね。
村林:監督の取り組むサッカーに必要な「自分の選手」。そう考えると、第一期の時は「手倉森チルドレン」と言えるような選手が多かったですよね。
田村:例えば、監督が中華料理の料理人だとして、素材が和食のものばかりだったら、それは難しいものがあります。創作料理でやるしかないと、そんな気がしますね。そこから生まれる化学反応もあるんですけどね。4-4-2でブロックを敷いて、(守備で)我慢して我慢して最後に点を取るというのが(手倉森)誠さんのサッカー。相当な我慢が必要なんですけど、最後までやりきることができなかったんですよね。
村林:今季は様々な立場の人が「苦しいシーズンだった」と言っています。これだけ苦しく、勝ち点を積み上げられなかった要因はどう考えますか?
田村:守りから入るサッカーをするならば、絶対に失点は0でなければいけない。先に点を奪われた試合は勝つ確率が0%だったので。J1で優勝争いをしていた2012年は、年間で失点が25くらいだった。1試合に1点も奪われていないんです。
村林:絶対に先制点を与えてはいけない。難しいことですね。
田村:あれだけ守りから入るスタイルならば、セットプレーの失点も許されないんですよ。点を奪われると相手とのパワーバランスが変化するんです。先に失点して、逆転をするためには2点取らなければいけない。攻めに行かなければいけないので、バランスを崩してしまいます。11人対11人で始まった試合が、失点したことによって11人対12人でやっているような感覚に変わるんです。逆に1点先行できれば、自分たちの人数が一人増えたような感覚にもなるんです。サッカーの1点は、プレーヤー一人に値するくらい大きいです。
村林:それほどの大きな差になってのしかかってしまうのですね。
田村:あとはストライカー不足、これも響きました。去年までだと長澤駿選手(現・大分トリニータ)がチームに残っていれば違ったかもしれないですね。皆川祐介選手にも期待していたんですけどね。年間10点取れる選手が1人、2人いれば違ったと思います。
村林:エースと言われる西村拓真選手も6点に留まってしまいました。
田村:彼が決定的なチャンスをもっと決められたら……あと2勝できたかもしれない。その他にも同じくらいゴールを獲れる選手がもう一人欲しかったですね。
村林:中盤の選手に目線を移すと、なかなかボランチもシーズンを通して固定できなかった印象です。けがやそれぞれのコンディションの状態もあったのかもしれませんが、組み合わせが良く変わりました。
田村:良い競争ではなかったのかなと思いますね。かつての鹿島だったら小笠原(満男)さんのように軸となる選手がいるのかというところです。仙台で考えると富田晋伍がけがから復帰してシーズン途中から試合に出ましたが、上原(力也)、松下(佳貴)、フォギーニョ、吉野(恭平)、中原(彰吾)と人数はいました。軸となる、「チームの心臓」という選手はいなかったかな。やっぱり、ピッチの中でも声が少なかったです。去年も(ヤクブ)スウォビィク選手の声がよく出ていましたが、今年は更に他の選手の声が出ていなかった。以前の角田(誠さん)のような、ピッチ内の「第二の監督」という存在が欲しかったなという感想です。厳しさがあるんですよね。ピッチ上で喧嘩なんて当たり前だし、要求の声ですよね。
村林:そうしたシーズンに田村さんはDAZNや地上波でも継続的に試合中継の解説を務めました。どのようなことを感じていましたか。
田村:今年、本格的にDAZN解説をやらせてもらって、仙台の試合をお届けする側になりました。DAZNはJリーグの公式映像なので、両チームについて50%50%でお伝えしなければいけない。もっと仙台のことを話したいなという気持ちはありましたけれど、それは一回置いておいて。自分が話したことを選手も聞いていると思ったので、自分としては「こうして欲しいな」というところを少しずつ、解説にちりばめてはいたんです。
村林:そういう伝え方をしていたんですね。
田村:例えば、「CBがボールを運んで、相手をくぎ付けにしてパスを出せばもらった選手はすごく助かる」という話をしたのですが、アピアタウィア選手は意識が変わったと思います。本人に直接言うこともありますけど、解説として伝えることで伝わったと見ていて感じました。
村林:厳しさで言うと、インタビューもやっぱり難しさがあるんです。直接対決で敗れた(第36節)湘南ベルマーレ戦で、試合後の手倉森監督にマイクを向けました。その段階で他会場の試合結果を待たなければいけなかったですが、J1残留は絶望的という状況。その時に、どんなテンションで、どこまで突っ込んだ質問をするか。降格目前という厳しい状況だけに、しっかりと踏み込まないと、逆に失礼に当たると思いました。マイクの前にプロとして来てくれた監督に、プロのインタビュアーとしてどう聞くか。その時は結構畳みかけたんですけど、真摯に答えていただいたな、と。勝ちに恵まれなかったシーズンだからこそ、試合前後のインタビューで監督や選手の声をどう聞いて伝えていくかはものすごく考えました。
田村:インタビューは難しいですよ。特に去年と今年は……。
田村:MVPを挙げるなら、僕は真瀬(拓海)選手ですね。期待も込めてというところです。真瀬選手がいてくれることによって、「可能性」が出てきたと思います。能力も高いので、仙台を引っ張っていける存在の一人ですね。
村林:チームのレジェンド、菅井直樹さんの背番号「25」も背負いましたし。
仙台-横浜FC 前半、競り合う仙台・真瀬(左)と横浜FC・高木=ユアスタ(提供:KYODO NEWS)
田村:そういう特別なストーリーがありますよね。背番号は一度つけたなら、ずっとつけていて欲しいです。僕は清水康也さんの「23番」を引き継いで、仙台での最後まで全うして、次に二見宏志(現、V・ファーレン長崎)に渡しました。そういうストーリーもクラブやサッカーに関わる「付加価値」だと思うんです。背番号は選手にとっての「名前」みたいなものですから大事にしてほしいですね。梁勇基選手(現、サガン鳥栖)の「10番」が空いていて、そこにはまる選手を生み出すブランディングも必要ですよね。
村林:「ミスターベガルタ」の「7番」、関口訓充選手もベテランとしてよくチームを引っ張っていました。ピッチ内での戦う姿勢、ピッチ外でのSNSでの発信力も含めMVPたる活躍だったのではないかと思いました。今季でチームを離れる、複雑な思いもありますね。
田村:そうですね。背番号への強い思いもあった。そういうストーリーをつないであげるのはクラブの大事な役目ですね。(後編へ続く)
Photo by 土田有里子
フリーアナウンサー、スポーツキャスター。2004年からラジオでベガルタ仙台のトーク番組を担当し、2007年よりスカパー!や DAZNで中継リポーターを務める。ベガルタ仙台レディースは2012年のチーム発足時より取材を開始。ヒーローインタビューと勝利の祝杯を何より楽しみにしている。