
地元宮城でサッカーができた喜び。愛し愛されたサッカー選手・小野瞳さんの歩み【前編】
Interview
FOOTBALL
女子サッカーの普及と宮城県民の健康課題解決のため日々奮闘している仙台市出身の元なでしこリーガー・中田麻衣子さんへのインタビュー。後半は、地元に帰る決断のきっかけや「サッカーを通して宮城県民の健康課題を解決したい」という現在の活動についてお話を伺いました。
2011年3月11日。短大のサッカー部を母体にクラブチーム「愛媛FCレディース」が立ち上がった頃、地元・宮城を東日本大震災が襲います。当時、短大を卒業したばかりで愛媛での仕事が決まっていなかった中田さんは、サッカーを辞め地元・仙台に帰ろうと考えていました。
「地元に帰って何かできることがあるんじゃないかと思っていたんですが、ちょっとごめんなさい、思い出すと……」
当時のことを思い出すと今も涙があふれる中田さん
震災直後の中田さんの自宅前の様子(ご本人より提供)
「仙台市内の実家は大規模半壊。道路が壊れ水道管が破裂したので、3ヶ月ほど水道が通らなかったと記憶しています。津波のような大きな被害があったわけではないですが、家族が苦しんでいるっていう状況が耐えられなくて……。(震災前は)いつも(電話口で)元気な人たちの声が日に日に暗くなっていく。愛媛では普通に生活が流れていて、電気もガスも使えるしスーパーには物が溢れてるのに、仙台ではスーパーに並んでも物が買えないとかガソリンを入れられないとか、もう、信じられなくて……。テレビではショッキングな映像ばかり流れていて、この差は何なのだろうと耐えられなくて、もう帰ろう、帰りたいと思っていました」
―でも、愛媛に残る決断をされています。
「母に言われたんです。『今帰ってこられても困るわ。ご飯ないし(笑)。今できることをやって』って。それで、私がサッカーを続けることでできることがあるのかな、離れている環境でも私が動いて家族が元気になるならがんばろうかなって思い始めました。将来、なんでサッカー辞めたの? と振り返った時に“震災があったから”となると絶対後悔すると感じました。家族全員が『後悔だけはしないように』って後押ししてくれました」
ー素敵なご家族ですね。
「はい。その後、愛媛のチャレンジリーグ昇格が決まった帰り道だったと思うのですが、マリーゼの移管先がベガルタ(現マイナビ仙台レディース)に決まったニュースを見て、(仙台に戻るか)本当に悩みました。でも、今じゃないなって。あの時は直感で、今は地元じゃなくて愛媛(に残るべき)なんだって思いました」
(ご本人より提供)
その後中田さんは3年間、愛媛FCレディースでプレーを続けます。クラブにも協力を仰ぎ「relaciones(フェラッソンイス)」(ポルトガル語で繋がり、関係という意味)という団体を創設。チャリティフットサル大会を開催し、その収益金を全て東北の子どもたちにイベントを通して還元するなど、家族の「後悔だけはしないように」という言葉通り、全力で「今できること」に取り組みました。
(ご本人より提供)
現役最後の2014年は「もう一度トップリーグでやりたい」という自身の心の声に従い、古巣の岡山湯郷Belleに復帰。「麻衣ちゃんおかえり」と岡山の人々に温かく迎えられた1年間を経て、13年間の現役生活に幕を下ろします。
2015年、地元宮城に戻った中田さんはFリーグのヴォスクオーレ仙台の広報として働きながら、震災復興活動にも精力的に取り組みます。その活動の中で、「宮城県民の健康課題を解決したい」という現在の活動の原点となる想いが芽生えます。
(ご本人より提供)
「Fリーグのヴォスクオーレ仙台で広報として働いていたとき、地域貢献活動の一環で小中学校を周っていました。すると、サッカーの前に単純な鬼ごっこをしているだけなのに、子どもたちが不自然にぶつかるんです。ただ走っているだけでぶつかるってどういうこと? と疑問に思い調べてみたら、宮城県は肥満傾向の子どもが多く、また震災後、子どもたちの体力や運動能力が低下していることを知りました。そこで、もっと直接的に地域の子どもたちに何かできることがあるのでは、と思い2017年にソルファクションを立ち上げ、2019年に法人化しました。トップリーグでプレーしていた女子選手が宮城に帰ってきても直接女の子たちに関わっている人が少ない、体が動くうちに関わりたいという想いもありました」
―ソルファクションの主な活動は?
「女子サークルという、主に小学生を対象にした初心者でも気軽に参加できる女子サッカースクールをやっています。クラブチームのようなハイレベルなものを目指すのではなく、遊びの中でサッカーの楽しさを伝えていきたいと思っています」
―遊びの中で、というところがポイントですか?
「はい。そもそも私、サッカーの指導自体にはあまり興味がなかったんです。練習メニューも遊びが多い。遊びの中で何かを身につけてもらって、それが何らかの形で生かされれば良いかな、と。私たちの活動目的は、サッカーを通して宮城県の健康課題を解決すること。宮城県の課題は子供の運動能力の低下と大人のメタボなので、遊びの中で楽しみながらそこを改善していきたいです。なので、対象も5歳以上の人全てとしています」
―親子イベントなども企画されていますね。
「ただ活動していくだけじゃなくて、家族の会話の話題になりたいという想いがあります。だから、親子で参加してもらえると嬉しい。お母さんたちって基本的に自分は(サッカーを)やらない人が多いと思うんですけど、一緒にやってもらって実際にサッカーボールに触れることで、あ、こんなに難しいことを子どもたちはやってるんだということに気づいてもらいたいです。あれ難しいよね〜、よくできたねっていう話ができたり共通の話題の一つになれたりしたらいいなと思って……。それによって親が1番の理解者になってくれると思うので。私自身もずっと家族にサポートしてもらってきましたし」
―サッカーだけでなく宮城県全体の健康や幸せに重きを置いているのはなぜですか?
「やはり震災の経験、あの時離れていたという経験があるからだと思います。地域の人に関わりたいって思ってもなかなか難しいと思うんですけど、私が今までやってきたことを通せば関わっていけるし、それにより地域に貢献でき皆さんの悩みが少しでも解決したら宮城県とサッカーへの恩返しになるのかな、と思いながらやっています。あとは単純に私が育った地域の皆さんと笑顔の時間を共有したいと考えています」
(ご本人より提供)
―一方で、女子サッカーの普及にもやはり力を注いでいらっしゃいます。
「ベガルタ仙台は知っているけど、マイナビ仙台レディースは知らないという子が多かったです。女子サッカーという競技があるんだよ、なでしこリーグ、WEリーグなど女子サッカー選手という職業があるんだよというところをまずは知ってもらうことが大切だと思っています」
―女子サッカーの普及という側面から独立後の5年間を振り返るといかがですか?
「実際、女の子のサッカーを広めるのはすごく難しいです。仙台は中学校で女子のサッカー部がないので、小学校でやっていても中学で競技を変えてしまう子が多い。そこが課題だしすごくもったいないと思い、まずは平日の夕方、中学生女子を対象としたサッカースクールをやってみました。でも、みんな他の部活をしているので全く人が集まらなかった。そこで次に、土日に試合をする機会を作りました。ソルカップという大会をやってみたんですけど、これも集客が難しかった。女子サッカー部がある高校にもご協力頂きながらクラブチームにお声がけして人は集められたけど、クラブチームが来ると(クラブチーム以外の)中学生たちは(試合するのが)嫌だって言うんです。私がやろうとしていることは求められていることじゃないのかなと思い、2年前に(中学生年代への直接のアプローチは)一度ストップしました」
―今は県サッカー協会の女子サッカー普及コーディネーターも務めていらっしゃいますね。
「はい。昨年から、小学校の体育の授業でサッカーの楽しさを伝える活動『みやぎ生協サッカー巡回指導』を行っています。もっとやりたい! という児童向けには『なでしこひろば』という初心者女子向けのイベントをスタートしました。小学校高学年になると男の子と一緒にサッカーをするのが難しいと感じる女の子もいるので、女の子同士楽しめる場を増やしていきたいと考えています」
一般社団法人ソルファクションの代表としてさまざまなスポーツイベントを企画したり、県サッカー協会の普及コーディネーターとして子どもたちにサッカーを指導したりと多忙な毎日を送る中田さん。サッカーが好き。でも、サッカーだけに拘らないという独自のスタイルは、これまで経験してきた多種多様な仕事のおかげだそうで……。
―これまでさまざまなお仕事を経験されていますね。
「現役時代は旅館、耳鼻科での受付、あと製造業メーカーの事務全般もやりました。地元に戻ってからはカフェの接客、焼肉屋接客、それに幼児体育の先生もやりましたね」
―すごい数です……。1人何役もできそうですね。
「はい、結構1人で何でもできちゃいます。小さい旅館だったら運営できるかもしれません(笑)」
―仕事の話をする中田さんは、常に笑顔ですごく楽しそうです。
「毎日楽しいですね。楽しくてたまらないです。サッカー、スポーツを通して多くの方の人生に関わらせていただける特別な仕事です。私にとってこんなにも幸せを感じる仕事は他にありませんが、その分、責任もものすごく大きいです。普通、サッカーをしていたら(現役後も)サッカーだけになるかと思うんですが、今はクラブチームを作りたいとかそういう願望はないんです。素晴らしい指導者がたくさんいらっしゃるので、続けたいという子には今あるクラブチームを紹介していければと思っています」
―ご自身の立ち位置、役割はどこにあると考えていますか?
「私、A-yogaというヨガのインストラクター資格も持っているんです。引退後、知り合いに紹介してもらいヨガを体験したとき『これ、現役時代に知りたかった』と強く思い、2019年に取得しました。ヨガってポーズを綺麗にとるというイメージだったんですけど、そうじゃない。呼吸とポーズで自分の身体の心地よいところを探していくものでした。ヨガをした翌朝、身体の中に1本の筋が通っているかのように呼吸できる、そのストレスのない感覚に感動しました。今後は、ヨガなどを通して身体の動きを学習していく、その方法をジュニア世代や親御さんにも伝えたいと思っています。私は女子サッカーを広めたいからこそ、サッカー以外のところで身体の土台作りをサポートしたい。土台がちゃんとしていないとケガしちゃうので。サッカーを続けられるための、怪我をしないための身体作りをサポートしていきたいです」
―専門学校の講師もされていますね。
「仙台デザイン&テクノロジー専門学校のeスポーツのフィジカルの非常勤講師をやっています。eスポーツって未知の世界だったんですが、私自身も勉強しながらやらせてもらっています。筋トレや、そのための土台作りであるヨガや体幹トレーニング、ストレッチなどを行うんですが、彼らは運動が好きなんです。イメージは逆だったんですけど……(笑)。 授業で身体を動かしてみると、自分たちで身体の変化に気づくから楽しくなってくるみたいです。長時間ゲームを練習できるようになった、長時間座っていることが苦痛じゃなくなった、大会で結果を残せたと言ってくれる学生もいます。もちろん彼らの練習の賜物ですが、そこに少しでも関われることがすごく嬉しいです」
―ご自身がサッカーで得た経験は、サッカー以外の人にも役立っているんですね。今後の夢を教えてください。
「2つあります。一つは、女子サッカーがもっと宮城に根付いてほしいということ。実際、WEリーグが始まって女子サッカーの競技人口は増えていると思います。ただ、継続という意味では中学生で中断してしまうという課題がある。中学校でも続けたいという気持ちを持ってもらうための魅力的な何かを私たちは提供しなければならない。高校も、強豪校はあるけれど自分が楽しめるレベルの選択肢がありますかっていうとそうではない。そこも改善の余地があります。なので、まずは小学生高学年の年代、男の子とサッカーをやることに抵抗が出てくる時期の改善をしていかないと先には繋がらないと思ってやっています」
―もう一つは?
「これはまだ妄想段階なんですけど……。制限のない『公園』を作りたいです。今は、公園でも小学校でもボールを使うことが禁止されていることが多く、子どもたちが自由に遊べる環境がとても少ない。公園って、本来子どもからお年寄りまでもっと自由に笑顔になれる場所だと思うんです。だから、クラブハウスがあってそこでおじいちゃんおばあちゃんは休憩できて、子どもたちは制限がなくボールを使って自由に遊べる。そんな場所を作りたいです。名前はもう決めてます。『solupark(ソルパーク)』。ソルは、ソルファクションのソルでもありますし、ラテン語で太陽。そんな、みんなの心が晴れやかになるような場を作りたいです」
常に開拓者であることを楽しみ、自分の直感に従って行動することで夢を実現し続けてきた中田さん。「サッカー選手として経験してきたこと全てを生かして誰かの役に立ちたい」という想いは、これからも周囲を巻き込み次なるハッピーの連鎖を起こしていきます。
Photo by 土田有里子
フリーアナウンサー。元ミヤギテレビアナウンサー。自然豊かで住みやすい仙台・宮城が大好き。休日の楽しみは娘たちとのスポーツ観戦。ジャーナリズムを専攻していた大学時代からの信条は、話し手である前に“聴き手”であること。仙台のスポーツ界に携わる方々の熱いストーリーをじっくりと伺っていきます!