仙台スポーツ
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宮城が誇る日本を代表するボールパーク 楽天生命パーク宮城【前編】

 野球ファンであればボールパークという言葉を一度は耳にしたことがあるはずだ。90年代、アメリカ・メジャーリーグではそれまでのドーム型スタジアムから屋外型スタジアムへの回帰が起こり、同時に野球をさまざまなスタイルで楽しむことができるボールパーク建設の流れが加速した。
メジャーに遅れること10数年、近年では日本でもボールパークを目指す球団が多くなり、広島東洋カープのMazda Zoom-Zoom スタジアム広島(ズムスタ)・横浜DeNAベイスターズのCOMMUNITY BALLPARK PROJECT(横浜スタジアム)・日本ハムファイターズの北海道ボールパーク(2023年開業予定)など、構想段階のものを含めれば数多く見られる状況だ。

 そのような日本の球場建設の歴史にあって、いち早く、かつユニークなスタジアムとして君臨しているのが東北楽天ゴールデンイーグルスが本拠地とする楽天生命パーク宮城である。

 今回は日米のスタジアム建設の流れや楽天生命パーク宮城の設計上の特徴などについて、ズムスタをはじめとするスポーツ施設の設計に携わり、現在はスポーツ施設の専門家として追手門学院大学で教鞭を取る上林功氏に話を聞いた。

上林功
上林功

追手門学院大学社会学部スポーツ文化学専攻准教授、株式会社スポーツファシリティ研究所代表取締役。
建築設計事務所にてスポーツ施設の設計・監理を担当。2014年に独立、2017年に博士(スポーツ科学)Ph.d.のち現職。
「スポーツ消費者行動とスタジアム観客席の構造」など研究と建築設計の両輪にて実践。早稲田大学スポーツビジネス研究所招聘研究員、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究所リサーチャー、日本政策投資銀行スマートべニュー研究会委員、一般社団法人運動会協会理事、その他神戸市、宇治市、西宮市などスポーツ振興政策における有識者委員をつとめる。

アメリカでボールパーク隆盛時代が訪れるまでの経緯

上林氏:「アメリカでは1965年に建設されたヒューストン・アストロズのアストロドームを皮切りに全天候型のドーム球場建設ラッシュが始まります。天候に左右されずにプレーできることが理由でした。
 アストロドームは人工芝を世界で初めて導入したことでも知られていて、球場名にちなんだアストロターフという人工芝が製品化されています。

 日本では四半世紀ほど遅れて読売ジャイアンツの本拠地として東京ドームが1988年に完成します。
一方アメリカではその頃既に時代はボールパーク建設に向けて舵を取っていて、1992年にはボルチモア・オリオールズの本拠地オリオール・パーク・アット・カムデン・ヤーズがオープンします。レンガと鉄骨を組み合わせた外観、球場に隣接するレンガ作りの倉庫、左右非対称のフィールド、ファールグラウンドの狭い野球専用スタジアムであるなど、フィールド・オブ・ドリームズと呼ばれるボールパークの金字塔と言われるスタジアムです。
ドーム型のスタジアムはアメリカンフットボールとの共用が多かったのですが、やはり野球とアメフトでは見やすいスタンドの基準が異なりますので、臨場感が相互に減じられる結果となってしまっていました。これを野球専用とすることで取り戻しつつ、球場にくるワクワク感を演出する仕掛けを工夫しました。
 また、天然芝を採用することで、見た目の美しさを確保し、空のひらけたスタジアムで開放感があるなど、レトロ回帰と言えるスタジアムです。オリオールズの成功を見て、メジャーの多くの球場もそれぞれ趣向を凝らしたボールパーク建設へと進んでいきます。

 1990年代になると日本では球団がスタジアムを建設するという流れがストップしてしまっていて、太平洋の向こう側で起こっているボールパーク化の流れは伝わって来ませんでした。
 自治体がスタジアムを建設する場合はどうしても利用種目の平等やスタジアム使用頻度が重視されますので、様々なスポーツの共用とされがちです。
 Jリーグが開幕した頃、東京ドームや横浜スタジアムでサッカーの試合をしていたことを覚えている方もいるのではないでしょうか。両スタジアムは今でもアメフトを開催しています。複数スポーツが利用可能ということは、ファールグラウンドの広さであったり、その他施設の配置が中庸な設計になっているとも言えます。」

 

日本で最初のボールパーク誕生へ

上林氏:「日本でいち早くボールパーク化の考えを取り入れた球場としてZOZOマリンスタジアムが挙げられますが、本格的な新規計画として建設されたのは新規参入球団として産声をあげた東北楽天ゴールデンイーグルスの県営宮城球場となります。
プロ野球チームに相応しい球場とするために改修工事が決定、2004年から段階的に改修工事が行われていきます。初期の工事では施設やショップの新設とともに、球場の顔となる印象的なファサードが整備されました。
これはスタジアムに足を運ぶ人が最初に目にする外観で、非日常の場所に来たという印象を与えてくれるとともに、ボールパークとして不足していたホスピタリティを付加する増築部として計画されました。」

 

 次回は一般的な県営球場であった県営宮城球場が日本で最初のボールパークへと駆け上がっていく様子や今後のスタジアムビジネスについて聞いていきます。

Photo by KYODO NEWS

安藤悠太
安藤悠太

東京大学文学部卒業、早稲田大学スポーツ科学学術院修士課程修了(優秀論文賞受賞)、フランスレンヌ政治学院欧州政治コース修了。学生の頃よりフリーのライターとして活動開始。ニュース記事やコラム、インタビュー記事の編集・執筆から海外での学術書執筆まで幅広く対応。国立のスポーツ機関で10年ほど国内トップアスリートの支援や草の根レベルのスポーツ支援に従事。現在は愛してやまないスポーツの新メディア立ち上げに関わることができ幸せです。宮城のスポーツシーンが盛り上がるよう、東京から記事を届けます。