
研究の世界から日本の競技力向上を目指す、気仙沼が産んだメダリスト 千田健太【前編】
Column
TABLE TENNIS
※東日本大震災後(2011年03月26日)に、故郷の仙台に被災者支援の物資をトラックに積み込んでいる福原愛さん
欧米では著名なスポーツ選手が現役中や引退後に慈善活動を手がけることは珍しいことではありません。日本でも近年徐々にそのような例が見られるようになってきました。
2017年にはアスリートたちの社会貢献活動を表彰するHEROsAWARDが創設され、現在まで続いています。4回目を迎えた2020年には、スラム街に住むこどもたちや元ストリートチルドレンの子どもたちなど機会の不平等に直面する子どもたちに対する支援活動が評価され、サッカー本田圭佑選手などが選ばれています。
卓球元日本代表の福原愛さんが社会貢献活動のために株式会社「omusubi」を立ち上げたことも、特別なことではないのかもしれません。
福原愛さんは1988年、宮城県仙台市に生まれます。3歳の頃から卓球の英才教育を受けた彼女は小学校に上がる前から年上の小学生向けの大会で結果を残すようになり、程なくしてマスコミに注目されるようになりました。
以後、「卓球の愛ちゃん」「泣き虫・愛ちゃん」として幾度となくテレビに登場し、スポーツ選手の枠を超え、国民的アイドルのような存在となったのはみなさんご存知の通りです。
小学4年生でプロ宣言し、6年生から中学生の間にはITTF(国際卓球連盟)が世界各地で開催するプロツアーに参加。出場した大会で安定した成績を残し、世界ランキングを上げていきました。
2004年に青森山田高校に進学すると、自身にとって初のオリンピックであるアテネ大会に出場。メダルには手が届きませんでしたが、福原愛さんがプレーする試合の視聴率は同五輪の数々の競技の中でもトップクラス。人気の高さが伺えます。
続く北京五輪では卓球選手として初の開会式騎手に任命されたものの、結果は振るわず。初の五輪メダル獲得となったのは、2012年、ロンドン大会のことでした。
その前年の2011年3月11日、地元仙台市を含む東日本一帯を震災が襲います。福原愛さんは中国の広東省で行われる世界選手権に向けた合宿の真っ只中でした。
震災のことを知ったとき、他の多くのアスリートがそうであったように、福原愛さんもまた己の無力さを感じずにはいられなかったといいます。しかし、結果的にこの経験が彼女のプレースタイルを変えました。
それまではライバルに戦術を掴まれないためとして勝ち目の無いゲームは手の内を見せないようにプレーして捨てていた部分もありましたが、どんなゲームも絶対に捨てない戦い方へ。諦めない姿勢そのものを見せることが、自分の役割だと信じます。
震災からちょうど1年後の2012年3月11日、自身のブログで福原愛さんはこう語っています。
「これからは物の復興と同時に、より一層の心の復興が必要になってきます。頭ではわかっているのに、心がついていかない。そういう思いをたくさん、たくさん嫌になるほどしていると思います。これからは、その心が少しでも前向きになれるような、そういうプレーが出来たらと思っています。」
「私の大きな目標はオリンピックでメダルを獲ることです。それはただ単に自分のためではなく、仙台にメダルを持って帰りたいからです。」
結果として、この年に開催されたロンドン五輪で福原愛さんは個人としては初の準々決勝進出を果たし、団体戦では日本卓球史上初となる銀メダルを獲得しました。
言うまでもないかもしれませんが、福原愛さんは震災後、幾度となく被災地を訪れ、復興支援イベントなどに参加しています。
ロンドン大会以降は度重なる怪我や体調不良に苦しめられますが、2016年のリオ五輪にはチーム最年長として出場。順位こそロンドンから1つ落としたものの、再び日本にメダルをもたらし、2018年には長かった現役生活からの引退を発表。現在はTリーグ理事や試合解説などを務めています。
元来、福原愛さんは相手のことを非常に大切に思う心の持ち主で、現役時代も自分のためにプレーをした事は一度もなく、自身の活躍によって周りが喜んでくれることが一番の原動力だったといいます。だから、引退の理由も「もう私が選手として卓球界を引っ張っていかなくても大丈夫」というものでした。
2018年、引退を発表した時のブログではつぎのようにも語っています。
「色々な立場を経験する中で、選手としての立場で後輩たちに新しい道を作ることよりも、別な形で携わることにより、これまで以上に若い世代が成長しやすい環境を作るなど、私が卓球界、スポーツ界に貢献していけるのでは、と考えています。」
そんな福原愛さんがついに具体的に動き出しました。その第一歩が株式会社omusubiの設立です。
“おむすび”と”結び”から命名したというその会社は、子どもから高齢者、ハンディキャップを持つ人などボーダレスに卓球の普及に取り組みたいという想いの下で設立されました。
社会が困難に直面している中で、今後は選手としてではなく社会貢献活動を通じて心があたたかくなるようなニュースを届けたいといいます。
まだ具体的な活動は調整中とのことですが、まずは宮城県で子ども向けの卓球大会「愛ちゃんカップ」を開催することや、県内の障害者福祉施設に専用の卓球台を寄贈することを計画中とのことです。
小学校時代の友人との設立ということもあり、今後ますます地元仙台で活躍してくれることにも期待したいです。
Photo by KYODO NEWS
東京大学文学部卒業、早稲田大学スポーツ科学学術院修士課程修了(優秀論文賞受賞)、フランスレンヌ政治学院欧州政治コース修了。学生の頃よりフリーのライターとして活動開始。ニュース記事やコラム、インタビュー記事の編集・執筆から海外での学術書執筆まで幅広く対応。国立のスポーツ機関で10年ほど国内トップアスリートの支援や草の根レベルのスポーツ支援に従事。現在は愛してやまないスポーツの新メディア立ち上げに関わることができ幸せです。宮城のスポーツシーンが盛り上がるよう、東京から記事を届けます。